松浦史料博物館開館70周年記念・九州国立博物館開館20周年記念特別展
平戸モノ語り ─松浦静山と熈の情熱
2026/01/20(火) 〜 2026/03/15(日)
09:30 〜 17:00
九州国立博物館
| 2026/02/17 |
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278巻の長大な随筆「甲子夜話(かっしやわ)」の著者として後世に名を残した9代平戸藩主松浦静山。彼の35年にわたる隠居生活の間、藩政を担ったのは息子の10代藩主松浦熈(1791~1867)だ。静山に1万石もの隠居賄(まかない)料を送り、江戸暮らしに不自由がないよう支えた。さらに草稿だった「甲子夜話」を清書して製本させたのは熈だった。その働きがなければ、随筆は散逸していたかもしれない。熈は膨大な史料の中で、特に松浦家の祖先や平戸についての史料を重点的に整理し、それらを後世に残すことを自らの使命とした。父静山の随筆も、その一つだった。
静山の時代にほころびが見えていた鎖国は、一層揺らぎ始めていた。1828年、地図など禁制品の持ち出しが発覚する「シーボルト事件」が発生。藩は長崎警備も担っており、熈は難しいかじ取りを迫られた。
熈は1833年から「亀岡随筆」を執筆している。九州大大学院の岩崎義則准教授(日本近世史)はその中で熈の「慎重さ」に着目する。静山が集めた書物や史料には、蘭学(らんがく)に関わるものも多かった。江戸の静山に代わって平戸の博物館機能「楽歳堂文庫」を守ることになった熈も、以前はエレキテルを取り寄せようとするなど洋学に関心があった。だが、「亀岡随筆では西洋的な文物について一切口を閉ざす。事件を契機に警戒したのでは」と岩崎准教授はみる。
熈はしばしば、静山を「厳父」と形容したという。尊称だが文字通り取れば「厳しい父」。松浦氏の当主で茶道鎮信流十三世宗家の松浦章さんは父子の関係に思いを巡らす。「昔の武家で男は元服したら、表と裏に分かれて親にも会わない。僕の親の時代までそういう育ち方をした。どういう親子の感情があったのか…」
1841年、熈は藩主を退くと決断する。「『頭悩』の持病がある」との医師の診断を取り付け、故郷である平戸での隠居を始めた。4代以降、長く江戸生まれの藩主が続いたが、熈は珍しく平戸生まれ。現役時代の人脈が残り、幕府からの目も行き届く江戸で隠居するのが通例だったが、熈は「国隠居」を選んだ。そしてくしくも同年、父静山が江戸で逝去した。
「熈が藩主となっても、家長は長らく静山だった。静山のいる江戸での隠居は避けたかったのだろう」と岩崎准教授。「熈の持病は今で言えばひどいめまい。船や駕籠などでの移動が難しくなったのでは」とも推察する。当初は消極的な理由から始まった、国元での隠居。だがやがて熈は、故郷にいる積極的な意味を見いだしていく。
「江戸は苦界、国は安楽世界也」
熈は亀岡随筆の中で、諸大名の多くが「国嫌ひ」だと指摘する一方、自らの地元をそうつづっている。平戸を「安楽世界」とするために、熈はどんなことをしたのか。
平戸は4代藩主が「茶道鎮信流」を興し、茶道が盛んだった。鎖国前は海外交易で栄え、南蛮菓子もいち早く伝わった。それらの菓子を記録しようと、熈は6年間試食を繰り返して絵とレシピを紹介する「百菓之図」を完成させた。餅菓子やカスドースなど名菓100種類を集めた図鑑だ。
平戸往還周辺に点在する景勝地を選び、世に誇る優れた風景として漢詩と解説を添えた平戸領地方八竒勝図(平戸八景)を制定した。さらに領内で熱病がはやったことを憂えて、病気治癒を願う霊場「平戸八十八ケ所」巡りを始めた。名物に観光地…まるで今で言う地域おこしの走りのようだ。
「以前は静山に比べて影が薄かった。でも20年ほど前から少しずつ研究が進み、平戸の歴史にとってはすごく財産となることをされたと見方が変わってきた」と松浦史料博物館の久家孝史主任学芸員は語る。
やがて平戸を「安楽世界」とするべく、熈はある思想にたどり着く。
ことの発端は、松浦家のルーツにさかのぼる。松浦党の始祖は、平安時代の嵯峨天皇の皇子、源融(みなもとのとおる)。いわゆる嵯峨源氏の初代に当たる。熈が自ら筆を執った家系図「神系」では、嵯峨天皇からさらにさかのぼり、天照大神など日本神話の神々を祖先と位置付ける。つまり熈は「神の末裔(まつえい)」ということになる。「神の末裔として平戸藩の藩領を統治しており、神仏の力をもって護持しているという感覚。独特なのですが、彼の中ではそのように納得している」と岩崎准教授は解説する。
肖像画嫌いだった父静山とは対照的に、熈は自らの肖像を数多く描かせた。武家の象徴たる甲冑(かっちゅう)に、公家の普段着である狩衣(かりぎぬ)と、正装の束帯(そくたい)姿。狩衣の像は木版画として家臣や寺社、ゆかりのある町人にも配り、神仏と同様に拝ませたというのだ。
自らを神格化して拝ませたというと、少し常軌を逸しているとも思える。ただここでヒントになるのは、熈と藩民との距離感だ。久家主任学芸員は語る。「地元では、熈が通った道が伝わっている。庶民が熈を見る機会は、他の藩主に比べて一番多かったのでは」
日本列島の西端に位置する平戸。京の都に住まう天皇家とは遠く離れている。まして庶民にとってはなおさらだ。熈が自分を天皇の系譜に置き、神の末裔であると自覚することで、いわば“会いに行ける神様”のように自らを位置付けたのではないか。そうすることで自身の死後も神として、幕藩体制の揺らぎもものともせず、永遠に松浦家と平戸の繁栄を見守り続けると―。
荒唐無稽な思想だが、家系図の几帳面(きちょうめん)な筆字を見ていると、熈が大真面目にそう信じきっていたのだと思えてくる。
平戸八景の数カ所をたどってみた。えぐれた岩に羅漢仏が連なる「福石山」に、巨大な穴に圧倒される「眼鏡岩」。自然が生み出した不思議な造形だ。大地の偉大さを体感した熈はおそらく、「平戸は神に守られている」と自らの確信を強めたに違いない。
(大矢和世)
▼特別展「平戸モノ語り 松浦静山と熈の情熱」 3月15日まで、福岡県太宰府市の九州国立博物館。九博開館20周年と松浦史料博物館開館70周年を記念する。平戸松浦氏に伝来した史料103件を展示。一部展示替えあり。金・土曜は午後8時まで開館。月曜休館(祝日の場合は翌日)。一般2000円、大学生1200円、高校生以下無料。ハローダイヤル=050(5542)8600。
=(2月14日付西日本新聞朝刊に掲載)=
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