ギュスターヴ・モロー展 サロメと宿命の女たち
2019/10/01(火) 〜 2019/11/24(日)
09:30 〜 17:30
福岡市美術館
2019/10/24 |
パリ中心部のオペラ座にほど近い瀟洒(しょうしゃ)な住宅街。秋暑の陽に照らされて外壁が白く輝く建物がある。19世紀後半に活躍したフランス象徴主義の巨匠ギュスターヴ・モロー(1826~1898)の自宅兼アトリエだ。今は美術館となっているこの場所で画家は数々の女性たちを生みだした。
「アトリエに引きこもり、誰も入ることを許さず、ひたすら内面に深く潜り、心の中に広がる想像の世界を描き続けたのです」
マリーセシル・フォレスト館長が館内を見渡しながら誇らしげに語った。
描いたのは多種多様な「ファム・ファタル(運命の女)」。美貌や謎めいた魅力で男をとりこにし破滅に導く誘惑者だ。中でも新約聖書を源泉とするユダヤの若き王女「サロメ」を繰り返し描いた。ヘブライ語で「平安」を意味する名とは裏腹に、自分の踊りの褒美に洗礼者聖ヨハネの首を求めた娘である。
そのサロメを、イタリア・ルネサンスの画家たちは、母にそそのかされて首を所望したあどけなさを残す少女として描いてきた。モローは、サロメが主体的に首を求めたと大胆に解釈を変え、「宿命の女」へと変貌させた。
代表作「出現」は宙に浮いたヨハネの首の幻視とサロメが相対するという先例のない場面設定が脚光を浴び、サロメは19世紀末のアイコンとなる。西欧の美術や文学の世界にも影響を与えたモローはどのように創造力を羽ばたかせ、独自の世界に到達したのか。
◇ ◇
誰もが知る幻想的な作風はすぐに生まれなかった。教養豊かな中産階級出身。国立美術学校に入学後は、神話や聖書を主題とする歴史画を学んだ。当初はドラクロワのロマン主義的な色彩に強い影響を受け、サロン(官展)を中心に活動した。しかし、30歳を過ぎても大成しなかった。
38歳で発表した「オイディプスとスフィンクス」が殻を破った。人に謎かけしては殺す化け物を魅惑的な肢体を持つ女の姿で表し、官能性を帯びたヒロインに仕立てた。
「従来の歴史画では勝負できなかった。想像力と教養を生かして新しい表現を考え抜いたのだろう」。著書「怖い絵」シリーズで知られる作家の中野京子さんはそう指摘する。
開花した独自の世界観。神ゼウスに誘拐されるエウロペを被害者でありながら相手を誘惑する存在として描くなど、神話や歴史上の古の女性たちを19世紀の世に「宿命の女」として次々とよみがえらせていく。その手際は名プロデューサーさながらである。
構図も古典の定型に収まらない。人物同士が見つめ合う構図を多用し、ただならぬ気配を想起させた。古今東西の資料を参考にした背景や装飾、宝石細工のようなきらびやかな色彩によって、写実主義に取って代わられつつあった歴史画に新たな命を吹き込んだ。
◇ ◇
独身を貫いたモローに「宿命の女」はいなかったのか。生涯同居して生活を支えた母親も、結婚はしなかったが30年近く連れ添った恋人も淑女タイプで、作品のような魔性を感じさせる逸話は残っていない。
ただ、女性との関わりがモローの運命を塗り替えたことは間違いない。1歳下の妹が13歳で早世し、一人息子となったモローは、母親の過剰なまでの愛を一身に背負い続けた。
「母と『一心同体』で画業に励んだことは確か」
モロー美術館のフォレスト館長は語る。実際、母が56歳になったモローに制作費を渡し、その使い道を報告させていた記録が残る。
モローも母を愛した。残された40点近い肖像画や資料がそう物語る。絶対的な母性で束縛し、運命を握り続けた母。その存在の大きさゆえに、モローの女性観は屈折し、「宿命の女」へと向かったのだろうか。
母の死後、モローはファム・ファタルをそれまでほど手掛けなくなった。母の没後の代表作「一角獣」のように、描かれる女性は怖くなくなるのである。
(佐々木直樹)=10月4日 西日本新聞朝刊に掲載=
※作品写真はすべてギュスターヴ・モロー美術館蔵
Photo © RMN-Grand Palais / René-Gabriel Ojéda / distributed by AMF
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