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ずば抜けた画力がさらに揺るぎないものになる、その背景/画家・諏訪敦さん【インタビュー】

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木下貴子
2017/10/20
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「自分の視覚情報だけでこの物を知ったと言い切るっていうのが、非常に乱暴に思えたんです」。インタビューの途中に出てきたこの言葉がとても印象的だった。絵画の緻密な筆跡に匹敵するほど、緻密に取材を重ねる。だからこそ圧倒的な力が宿る。迫る。福岡市・天神の三菱地所アルティアム(イムズ8階)で開催中の「諏訪敦 2011年以降/未完」その制作背景についてお話をうかがった。

――西日本での本格的な個展は、本展が初ということで九州に住む私たちにとっては非常に嬉しい機会です。まず、タイトルにもあるように、本展では2011年以降から現在までの作品が発表されているわけですが、なぜ2011年なのかその理由を教えていただけますか。

諏訪:個人的な理由です。僕が所属している成山画廊とは⻑いお付き合いだったのですが、いよいよ共に仕事を始めることを公にしたのが2011年でした。その当時、僕はアーティストとして微妙な位置にいたのです。それまでいわゆる旧来的な画壇で活動していましたが、そこから現代美術へとジャンルを変えることは相当な覚悟と気合いが必要でした。画壇では鑑賞絵画として需要を満たせば、あるいは審美的な完成度の高さを維持すれば内容は問われませんでした、つまりどんなに売れても批評の対象にはならない。片やコンテンポラリーの分野で闘っている業者をプライマリーギャラリーに選ぶということは、商いの分野が変わるとともに、批評に耐えうる内容を求められることも意味します。だから僕のようなシフトチェンジをすること自体、業界の慣習としては考えられなかったし、リスキーで、それに成功した例も知りませんでした。それが2011年の意味するところです。

「未完」としたのは、絵との関係……描かれた人との関係も含め、自分がどう相手を見るかによって永久にその関係が更新されていることに拠ります。一度発表すれば完成と思われますが、僕がその絵を見たときに感じ方が変わっていたり、あるいは成長して見方が更新されることで、絵との関係性が変わってしまう。僕の手元にある限り、その絵は常に未完の状態であるということです。あとは僕に限らず2011年というのはすごく象徴的な年でありいろいろなことがありましたが、いまだに物事が回収されないまま散らばっている状態という、未完成の状態というかそんなイメージもあり、こういうタイトルにしました。

会場風景

――実際、何度も加筆されることがあるそうですね。

諏訪:画家が絵を描き変えることは、単に絵づらが気に入らないのが一番の理由だったりするんですけども……とにかくしっくりこなくて顔を3回描き直した作品もあります(笑)。だけど、例えばこの絵(「Yorishiro」、「HARBIN 1945 WINTER」)の場合は、そもそもモデル自体が70年前に亡くなっています。ちゃんと存在した人だけれども、その実態を掴むことができないというところから初めているので、まず頭の中に描く対象の実像を、捏造でもいいからとにかく作る必要がありました。そのための情報や、情報の正確さを求めてはいましたが、やっぱり亡くなったときの状態を推理していくことも必要でした。

展示作品「Yorishiro」2016-17年
展示作品「HARBIN 1945 WINTER」2016-17年

諏訪:自分の亡くなった祖母を描いているんですけど、僕の関心って実は、父親が見たものなんですよ。つまり父親が見たものを描きたかった。父親の手記を元にしましたが、父が8歳の時の記憶だから、かなり間違っているはずです。現地に行っていろんな過去と突き合わせていく中で、いろいろな矛盾もありました。ただその間違いも含めたうえでの彼の記憶というものは、歴史としては間違っているとしても、彼の感じたことという意味では真実なんです。じゃあどっちを重要視して真実として扱うかっていうことは、自分に委ねられていて。そのために死んだ人間である祖母を召喚して、具体的に形を与えるという作業をやりました。

当時の祖母と似たような歳格好の女性を探して描き、それが病気や飢餓状態になったことでどんどん痩せていくという祖母と同じ経験を絵の中でさせることをしました。例えば痩せていく過程や、同じような病気になったらこういう病変が現れるだろうとか、情報を知り得、自分の知識が増えていくなかで、感じ方も更新されていくわけですよね。そうすると、頭の中にあった祖母のイメージもどんどん変わっていって。最初は生きている女性をモデルにその顔の肉を削ぎ、いわゆる復元マスクを作るような形で描き、次に本物の女性の頭蓋骨をもってきてそこに肉付けするような感じで誰でもないような顔にしようという方向で進んでいたんですけど途中から、祖母の新しい写真がでてきて。終戦間際の写真だったんですけど、食料事情もあってかその顔がとても痩せていたんですよ。それが、亡くなる前の父親にすごくそっくりで。この1999年にデッサンした父の顔(「father / 14 July 1999」)をこっちに写し描いたのは、そういう理由です。

展示作品「father / 14 July 1999」1999年

 

――絵を描く行為そのものに加えて、その方やあるいは周りの方に話を聞いたり、状況をいろいろなところで緻密な取材を重ねる理由を教えてください。

諏訪:一つは理想としては映画のイメージがありました。例えば、自分の部屋に1人籠って壺を描きましたっていうのはある意味美しい絵画との関係かもしれませんが、それには早くから限界を感じていて。だけど、映画を作る場合はいろいろな人たちが関わり、いろいろ取材やロケハンをしたり、またいい加減なものを作らないために歴史考証をする人がいたり。それほどの情報を込めるっていうのは、どんな創作物でも当たり前だって思っていたし、だけど絵画はそこから離れていられるっていうのは怠慢のように感じていました。また、自分の視覚情報だけでこの物を知ったと言い切るっていうのが、非常に乱暴に思えたんです。

取材に関して十分に足りているか僕自身もわかりませんが、もっと素朴な理由としては、自分一人の中で絵画の自律性を目指したり、造形的に新規性を提示したりすることに僕にはあまりモチベーションを保てなかったのです。 つまり、ぶっ壊れたテープレコーダーのようにぐるぐる考えを廻すような思いつきは大抵つまらないものです。それには早晩退屈していて、他人の知性や経験を導入することで初めて、手応えを得られたんです。ただし、描画の対象が人間だとして、その人の心性を描きたいために取材をしているわけではありません。よく勘違いされることがあるんですが、内面を描くことは全く目指していませんし、描けるとも思っていません。

展示作品 「美しいだけの国」2015年

 

――今の時代、様々な表現手段があり、メディアも多様で情報も簡単に手に入りますが、そんな中で絵画が持つ力というのを、どのようにお考えかお聞きしたいです。

諏訪:ドイツの思想家ヴァルター・ベンヤミンがいう、複製の時代に喪失した「アウラ」、つまり一回性の価値を示す言葉があるじゃないですか。固有の芸術作品が、現在此処で発揮する力のかけがえのなさ。それをいまだに僕は信じているのです。例えばSNSに代表されるように、現代は瞬時にいろんなイメージが世界に共有されて、その伝播力は人々がかつて経験しなかったものだけれど、常々、みんなが押す「いいね」の数と本質的価値は比例しないと思っています。

そう。オリジナル作品の威力は複製芸術の普及によって、全て失効したという定説には違和感があって、絵画の現物を見る価値は現代にあっても変わらないと思うのです。

特に洋画......油絵の組成的な側面から説明してみましょう。重ね塗りが可能な油絵は被覆力を自由に操作できます。様々な色や透明度を変化させた描画層を重ねることで成り立っていて、目に届く複雑な反射は平面に奥行きのイリュージョンをもたらしましたが、長い時間と根気、高い技術を要求されるものでした。かたや現代ではデジタル機器の発展により、素人でも高精細にイメージを複写することを可能にしましたが、形や色値は正しくても、横方向にドットを並べるような再現です。一方、縦方向に多層構造をもち、奥にある色彩も透けて見通せるような深みのある画面とは、物質的に見えかたが違うものでしょう。例えばペラペラのグラフ用紙に描かれた、この鉛筆で描いた素描 (「HARBIN 1945 WINTER」(Esquisse)) でさえも、鑑賞する側の目の練度次第で、そこに微細な思考の痕跡を読み取ることができるはずです。筆圧の強さだとか、迷った痕だとか、手作業が介在した制作物には、物体としての絶望的な複雑さがあって、観る経験値が上がるほど違いがわかるんですよ。つまり単純に物体としての複雑さにもまだ、複製の成果物は本物に追いついていない。いずれそれも3Dプリンタのようなイノベーションがあって、ゆくゆくは完璧な再現だって可能になるのかもしれませんが。

それでも、世界にただ一つの本物をみたときに理屈抜きで感じられる圧力は、美術に関わる者は誰もが経験したことがあるでしょう。うまく説明ができませんが、権威づけがもたらす純度の低い感動も含めて、作品と受け手の関係によって、まちまちのヴォリュームで発動するものです。まだまだいけると思うんだけどな。絵画 (笑)。

展示作品「神様くらいの大きさのもの」2017年

 

展示作品 「HARBIN 1945 WINTER」(Esquisse) 2015-16年(部分)

 

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