江口寿史展
EGUCHI in ASIA
2024/11/09(土) 〜 2025/01/12(日)
福岡アジア美術館
2022/12/21 |
以前と比べ、都心でも街でマスクを外している人を見かけるようになった。国(厚生労働省)もすでに屋外では原則マスクの着用は不要としているので、当然といえばそうなのだが、ほとんどの人は今でもマスクを着用している。コロナでなくても、冬で空気が乾燥し、風邪やインフルエンザが流行(はや)る時期ということもあるだろう。しかし、マスクの習慣はすでにしっかり定着しているようにも見える。
マスクを着用したほうが衛生的だ、素顔を見られたくない、気持ち的に楽だ、などいろいろな理由がありそうだ。だいぶ以前はマスクをしているのは風邪などをひいている人と相場が決まっていたものだが、そのうち対人恐怖などを抱えている人が風邪でなくてもマスクを日常的に着用するようになった。そして今回のコロナ・パンデミックでマスクは今ではもうすっかり顔の一部となった。言い換えれば、日本では多くの人がもともと対人に不安を抱えていたということかもしれない。
美術館への入場でも、手指の消毒とマスクの着用はあたりまえになっている。会話についても、以前は展示室内でずいぶん大声で話をしている観客がいたものだが、今ではすっかり影を潜めている。もちろん感染拡大防止がだいいちの理由なのだが、少し考えてみればこれは美術作品の保護という観点でもわるいことではない。
いくら湿度や温度、明かりやケースなどの工夫を凝らして作品を守ろうとしても、観客そのものが細菌やウイルス、菌類や花粉の媒介者だということがわかってしまった以上、展示室にはいくらでも異物が侵入してくる。というより、観客そのものが作品(文化財)にとって最大の異物だったのだ。手指の消毒やマスクの着用、会話の抑制は、そうした異物性を程度の差こそあれ低減させる効果がある。
とすると、残る最大の異物の侵入経路は靴底だろう。少し考えてみても、わたしたちが身につけているなかでこれほど汚い箇所はない。だが、いま美術館で手指の消毒は当たり前でも、靴底の消毒をしている例は見たことがない。
なぜしないのだろう。これはコロナでなくても以前から考慮されてよかったはずだ。もしも推し進めるなら、美術館に入場する際には靴を脱いでもらうということにならざるをえない。とはいえ、海外ではあり得ないようなそうした習慣も、日本では様々な局面で当たり前になっている。
以前、建築家の磯崎新氏が、日本の畳の間はもともと土間に対する寝台で、寝台では当然靴を脱ぐ。ところが畳の占める割合が次第に家の全体を占めるようになって、とうとう玄関で靴を脱ぐ習慣が定着したのだという。外国ではなぜ日本では玄関で靴を脱ぐのか不思議に思う向きもあるようだが、玄関から先が拡張された寝台だとしたら納得もいく。
では、美術館はどうだろうか。美術館に寝台はないから靴は履いたままだ。寝台で靴を脱ぐのはそのほうがはるかに衛生的だからだが、感染症対策や文化財の保護ということで考えれば、鑑賞の際に靴は脱いだ方がいいに決まっている。だが、靴の管理には莫大(ばくだい)な費用や場所の確保が必要だ。だから現実的ではないのだけれども、わたしたちは美術の鑑賞において靴の脱ぎ履ぎが持つ意味についてすっかり忘れてしまっていた。コロナがそれを思い起こさせたのだ。(椹木野衣)
=(12月16日付西日本新聞朝刊に掲載)=
椹木野衣(さわらぎ・のい)
美術評論家、多摩美術大教授。1962年埼玉県生まれ。同志社大卒。著書に「日本・現代・美術」「反アート入門」「後美術論」「震美術論」など。
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