江口寿史展
EGUCHI in ASIA
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福岡アジア美術館
2020/05/26 |
舌鋒(ぜっぽう)鋭く、そして人を射抜くような眼差(まなざ)し。25年前に菊畑茂久馬さんと初めて出会った時の印象はこうだった。私はまだ勉強も経験も不足しており、足元にも及ばない。そこで彼の画家としての出発点であった前衛美術グループ「九州派」について見識を深め、一方で多くの現代美術家と仕事を積み重ねた。そして、2008年の初頭、「菊畑茂久馬回顧展 戦後/絵画」の2011年開催を目指して菊畑さんのもとを訪れた。その時、彼の表情は、孤独な戦いを終えて一息ついたように穏やかだった。長崎県美術館の野中明さんとも意気投合し、2館同時開催という異例の形の回顧展の準備が始まった。1983年以降、≪天動説≫に始まる大作の連作絵画は、2011年の段階で8タイトルあり、とても一つの美術館に収まりきれる物量ではなかったからである。
しかしこうした圧倒的物量の作品を目にしても、いや、圧倒されるがゆえに、この展覧会で、私自身が注目したのが1970年代、いわゆる「沈黙の時期」であった。
菊畑さんは、前衛美術集団「九州派」に属して、東京の美術界を相手に暴れまわった風雲児として頭角を現してきたが、やがて東京の企画画廊、南画廊に一本釣りされて九州派を離れた。米国で日本の現代美術を紹介する展覧会にも米国のキュレーターから選ばれるほどに注目を受けながらも、彼はそのスター街道に背を向けてしまった。地方の作家でなくても、一度は得てみたい評価をほしいままにしながら、なぜそこから踵を返したのか。彼は時代と社会に溶解するような美術家となりたくはなかったのだ。長い沈黙の時代が始まる。
その間に、山本作兵衛の炭鉱記録画と藤田嗣治の戦争記録画を評価する仕事をしていたことは今ではつとに有名だ。前者は、2011年5月にユネスコの「世界の記憶(世界記憶遺産)」に登録され、後者はようやく今研究が進展しつつある。菊畑さんの仕事がその先鞭(せんべん)をつけたのは間違いない。彼は、そうした作品のどこに注目したのか。両者は全く外見の異なった絵画であるが、彼によれば、そこには画家の内部と、それを取り巻く外部の問題が横たわっている。内部は「幻想」と言い換えていい。作兵衛の炭鉱絵画は、そのすべてが、彼の内面にて醸成された記憶(幻想)を基に、彼が自発的に描きだしている。それは炭鉱労働という過酷な肉体の行為に裏打ちされる。一方戦争記録画は、国家の要請で描かれたもので、いわば画家の外部。しかし藤田嗣治の玉砕死闘図だけは、その外部の要請をはみ出している。つまり画家の内部が暴発しているのだ。
ここに菊畑さんは、何物にも溶解しない、絵画の「自棲の秘術」を垣間見る。つまり、時代の推移で変化する「外部」に左右されない「内部」の在り方である。菊畑さんの内部、とはなんだろうか。幼き日から今日にいたるまでの記憶であろう。父母を相次いでなくし、流浪の日々を過ごした少年時代のことを、彼はしばしば甘美な文章にしているが、今考えれば、それらは絵画の主題の準備だったのかもしれない。
オブジェを絵画平面に結合させたグレー一色の≪天動説≫を1983年に発表して以降、彼は≪月光≫を皮切りに、約30年にわたり次々と大型絵画連作を手掛けていった。一見、それらは抽象絵画だが、圧倒的なマチエールと色彩は壮大であり、見るものに叙情的ななにかを想起させずにはおかない。菊畑さん自身の「内部」が主題となっていることは間違いないが、個人の物語に堕すことがないのは、沈黙の時期に鍛えぬいた絵画思想があったからである。(山口洋三・福岡市美術館学芸係長)
=5月26日付西日本新聞朝刊に掲載=
◇画家、菊畑茂久馬さんは5月21日、85歳で死去。
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