ルネ・ユイグのまなざし
フランス絵画の精華
大様式の形成と変容
2020/02/04(火) 〜 2020/03/29(日)
09:30 〜 17:00
九州国立博物館
2020/02/20 |
九州国立博物館で開催中の特別展「ルネ・ユイグのまなざし フランス絵画の精華」(西日本新聞社など主催)は、19世紀後半に誕生する印象派に比べて、日本ではなじみの薄い17~19世紀のフランス絵画に光を当てる。印象派前夜の伝統と革新、さらに「新しい伝統」がせめぎ合った転換期の絵画史を概観する。
政争に敗れた古代ローマの将軍コリオラヌスは、隣国の部族に加わって軍を指揮し、ローマに復讐戦を挑む。ところが、妻と母から戦争をやめるよう懇願されると聞き入れてしまう。結果、部族の裏切り者として殺されるのだ。
優れた武人だったにもかかわらず、情にもろかったこの男を描いた「コリオラヌスに哀訴する妻と母」は、フランス古典主義を代表するニコラ・プッサン(1594~1665)の作品である。画面中央で妻と母はひざまずき、両手を大きく広げる。妻が抱きかかえる幼児も同じ身ぶりだ。甲冑(かっちゅう)に身を固めたコリオラヌスは、困惑したような表情で剣を収める。劇的な一幕を、言葉なき登場人物たちが雄弁に語る。
大人数を配置する構図の妙に、正確なデッサンで捉えた人の動きや表情。家族愛や名誉といった普遍的な主題。どこをとっても、古典を題材とした歴史画の重要作品だといえる。
フランス生まれのプッサンは、生涯の大部分を美術先進地イタリアのローマで過ごした。作品の多くをパリのルーブルや、米国のミネアポリスといった名だたる美術館が所蔵する巨匠だ。プッサンの理論や技術を基礎に、後進たちは王立美術アカデミー設立に動く。歴史画を最高位とする序列、色彩よりもデッサンを重視し、理想的な美を生み出す姿勢を打ち出した。以後、画家たちはアカデミーで認められることが主たる目標となる。
だが、このプッサンの晩年の代表作「コリオラヌス―」が飾られていたのは、出身地のレザンドリーにある小さな美術館だった。
「プッサンの作品をなかなか借りられない」。展覧会を企画した東京富士美術館(東京都八王子市)の五木田聡館長がフランスの学芸員に相談したところ、レザンドリーのプッサン美術館を紹介された。民家のような造りの館は、極東から舞い込んだ貸し出し依頼を歓迎。大作の日本初公開が決まった。
九州に巡回してきた特別展「フランス絵画の精華」は、17~19世紀のフランス絵画を網羅する。各時代を象徴し、転換点を示す作品を集めるため、五木田館長や学芸員たちはヨーロッパを巡り、貸し出し交渉を重ねた。結果、フランスのルーブル、オルセーをはじめ、英国の大英博物館やドイツのベルリン国立絵画館からも集まった。
「ある美術館のコレクションや、一人の画家へのフォーカスと違い、骨の折れる仕事でした」。五木田館長はそう振り返る。
交渉が難しかった一つが、古典主義に続くロココの時代を代表するジャン=アントワーヌ・ヴァトー(1684~1721)の「ヴェネチアの宴」。スコットランド・ナショナル・ギャラリーが所蔵し、パリであったヴァトーの大回顧展にも出さなかったほどだ。貸し出しに積極的ではなかった同ギャラリーに対し、五木田館長は3度直訴して許可を取り付けたという。
ヴァトーは富裕な市民の生活を描いた。自然に囲まれた人々はダンスを楽しみ、身を寄せて何やらささやきあう。美術評論家の高階秀爾氏は「彼の顧客は王侯貴族でなく、当時力を持ちつつあった市民だった」と指摘する。
明確な主題を持たず、歴史でなく当時の「今」を描いたヴァトーはアカデミーに身を置いたが、「雅宴画」と呼ばれるその画風は旧来のアカデミー理念から飛躍している。彼が画布に込めたものは何だったのか。
高階氏は「満ち足りた華やかな時代を描きつつ、憂いや暗さを盛り込んだ」とみる。笑いさざめく宴の参加者たちは、ときに遠くを見つめ、鑑賞者に背を向けている。高階氏はそこに「不安や別世界への憧れ」を見て取り、個人の感性や神秘の世界に重きを置いた、次代の「ロマン主義」の始まりだと読み解く。
ヴァトーのデッサンは、とりわけサンギーヌ(赤チョーク)による表現力に圧倒される。人の繊細さを描いたヴァトーは、アカデミーの伝統を踏襲した高い技術をベースに、絵画のジャンルを広げていったのだ。 (諏訪部真)=2月14日西日本新聞朝刊に掲載=
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