江口寿史展
EGUCHI in ASIA
2024/11/09(土) 〜 2025/01/12(日)
福岡アジア美術館
2020/05/29 |
新型コロナウイルス感染症の地球規模での蔓延(まんえん)は、結果として私たち人類の母なる地球そのものへの感じ方に、無視することができない変化をもたらしているように思われる。
この新型肺炎が伝播(でんぱ)する速度に拍車をかけたのがグローバリズムであることは、たびたび指摘されてきた。グローブにはもともと地球の意味がある。しかし、私たちがグローバリズムというとき、そこで意識されていたのは「世界」であって、地球ではなかった。
世界と地球との差は大きい。地球というとき感じられる宇宙に浮かぶ球体の感覚や、大気圏で覆われた水球としての地球といった意識は、前者では極めて乏しい。世界の主役はあくまで人間であり、社会的な活動を行わない動物や自然は念頭に置かれていない。それどころか、動物は食料として、自然は開発の対象として、むしろビジネスの糧へと貶(おとし)められている。
ところがどうだろう。新型コロナウイルスがあっというまに地球を覆い尽くし、都市が閉鎖され、飛行機が飛ばなくなり、人が家にこもるようになると、家にいながらにして、私たちは地球とのこれまでと違う接点を持った。それは、これまでの世界という感覚とは全然違っている。少なくとも私はそうだ。
その一因に、方々で伝えられているとおり、人間の社会的活動が激減することで、自然や動物たちが、本来ある姿を取り戻したように感じられたことがあるに違いない。空は青く澄み、小鳥たちは嬉(うれ)しそうにさえずり、夜空は宇宙にまで届くようで、月の輪郭はこれまでになく鮮やかだ。
むろん、そこには多くの犠牲者たちが伴っている。私自身、いつ新型肺炎の餌食にならないとも限らない。だが、地球という生態系は、もともと生と死が循環することで成り立つ。動物や自然だけではない。目に見えないウイルスも、ずっと昔から地球の一員だったのだ。やはり、地球は人間だけのものではなかった。そう言わざるをえない。
新型コロナウイルスが人間の呼吸器、とりわけ肺に深く侵入することも、大気圏としての地球を否応(いやおう)なしに意識させられる。私たちが日頃からなんの気無しに繰り返している呼吸は、かつて魚類が海から陸に上がってきた進化の痕跡であり、人類と地球とのもっとも身近な、まるでへその緒のような接点なのだ。
私たちは、食料や水が切れても少しのあいだは生きられるけれども、息が詰まればすぐに死んでしまう。そこを冒されるのはこれまでにない恐怖だが、同時に、地球と自分との切り離せない絆を、家にいながらにして痛感する機会にもなっている。
心理的(家)にも器官的(肺)にも内へ内へと沈み込み、しかし同時にそれが広大な外宇宙を漂う遊星としての地球にまで届くような感覚をもたらす点で、私はいま、昨年の春に国立新美術館で見たイケムラレイコ「土と星 Our Planet」展を思い出している。
イケムラが東日本大震災を遠方の地、ドイツで知らされ、それ以降に大きな変化を遂げるなかであらわれた巨大な「山水画」は、その展示室が「コスミック・ランドスケープ」と題されていたように、宇宙を示唆していた。それは今回のパンデミックから呼び覚まされる地球的な感覚を、むしろ先取りしていた。私たちはいま、再生する骸とともに、まさしくイケムラの呼ぶ「うねりの春」(2018)の渦中にある。(椹木野衣)=5月28日西日本新聞朝刊に掲載=
椹木野衣(さわらぎ・のい)
美術評論家、多摩美術大教授。1962年埼玉県生まれ。同志社大卒。著書に「日本・現代・美術」「反アート入門」「後美術論」「震美術論」など。
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大丸福岡天神店 本館8階催場
2024/09/07(土) 〜 2024/11/24(日)
つなぎ美術館
2024/10/26(土) 〜 2024/12/01(日)
九州芸文館