江口寿史展
EGUCHI in ASIA
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福岡アジア美術館
2020/09/25 |
新型コロナウイルス感染症の蔓延(まんえん)以降、ちまたではにわかに隔離という言葉が使われるようになった。ほとんど毎日と言ってもいい。今回の事態の前から、隔離という言葉に心のどこかで敏感になっていた私は、新型コロナウイルス感染症拡大を防止するため、患者を一定期間、社会から隔離するのが必須であることを頭では理解していても、この言葉を聞くたび、小さな緊張が走るのを感じた。前回、感染の拡大のため家に篭(こ)もる機会が増えるにつれ、頭のなかで過去の記憶を再生し、この世を去っていった死者への思いが募るようになった、と結んだ。実はそのことと隔離、という言葉が持つ緊張感とのあいだには、私にとって切っても切れない関係がある。
私が「瀬戸内国際芸術祭」に初めて足を踏み入れたのは、2010年に開かれた第1回のことだった。ディレクターの北川フラム氏から、どうしても行ってほしい会場がある、と言われからだ。船が着いたのは、高松からほどない距離にある大島という島だった。この芸術祭の主会場として、今や世界的に知られることになった直島などと比べれば、目と鼻の先と言っていい。しかしその近さは、簡単には埋められない距離でもあった。「国立療養所大島青松園」--そう、ここは島全体が国立のハンセン病療養所となっているからだ。むろん、患者はもういない。入所しているのは、みな回復者の方々である。しかしそれでも、一般の人がこの島に渡るには特別な手続きが必要だったのを、北川氏がこの島を芸術祭の会場のひとつとして組み込むことを強く主張した結果、私のような者もなんの気無しに島を訪ねることが可能になったのだ。
いま、なんの気無しにと書いたが、島で「展示」を通じて出会った体験は、それまで知識としてしか理解していなかったハンセン病をめぐる過去の知られざる出来事を、私の前に強烈に突きつけてきた。とりわけ、芸術祭の開催に先立ってこの島の問題と取り組み、「やさしい美術」と名付けられたプロジェクトが実現した展示には、思わず息をのんだ。このプロジェクトを主宰する美術家の高橋伸行氏が、入所者の方々との交流からその存在を知り、断崖下の海岸から引き上げられることになった解剖台が、そのまま展示されていたからだ。
いったい、なんのための解剖台か。病を理由にこの島に隔離され、焼かれて骨と灰になっても、二度と故郷に帰ることができなくなった患者たちは、亡くなると、埋葬の前に島内の施設でひそかに解剖されていたのだ。いま、芸術祭の会場で目の前に置かれているのは、打ち捨てられ、誰の目も届かなくなっていたはずの、そのような歴史の産物そのものにほかならなかった。
このように、隔離という言葉には、取り戻すにも取り戻しようのない、国の誤った隔離政策で名を奪われた多くの人たちの無念の思いや、声なき声が奥底で響いている。だが、私が衝撃を受けたのは、そのような事実を知識としてではなく、アートをきっかけとする展示を通じて目の当たりにした、ということでもあった。アートには、隔離によって「遮られる世界」の向こうとこちらを繋(つな)ぐ力があるかもしれない、と思ったのも、その時が初めてのことだった。このアートの力は、ウイルスとともに隔離が世界中に広がった今回のパンデミックのもとでも、果たして有効だろうか。(椹木野衣)
=(9月24日付西日本新聞朝刊に掲載)=
椹木野衣(さわらぎ・のい)
美術評論家、多摩美術大教授。1962年埼玉県生まれ。同志社大卒。著書に「日本・現代・美術」「反アート入門」「後美術論」「震美術論」など。
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