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遮られる世界 パンデミックとアート 椹木野衣<57> 【連載】環境激変の功罪 社会活動は停滞しても芸術の別次元開く予兆

2022/03/03 LINE はてなブックマーク facebook Twitter

 だいぶ前のことになるが、マンガ家の楳図かずおの代表作のひとつ『14歳』(連載は1990~95年)を取り上げ、現在のコロナ・パンデミックの前提となるような地球規模の気候変動が、すでに先見的に暗示されていると触れた。いま、ついマンガ(漫画)家、としてしまったが、その楳図が85歳にして「画家」として新たな名乗りをあげた展覧会「楳図かずお大美術展」が東京、六本木で開幕した。

 この展覧会については私自身、アドバイザーとして当初より関わり、展覧会の構成などに深く関与している。ただ、その楳図がマンガではなく全101点に及ぶ絵画の連作を手掛け、しかもそれが先の『14歳』から数えて27年ぶりの「新作」となることもあり、情報は直前まで伏せられていた。最初に相談を受けたのが2017年の春だったから、準備に5年あまりが掛かったことになる。

 それはむろん、楳図が80歳を越してまったく新しい分野と技法に挑み、しかも点数が101点に及ぶこともある。しかし同時に、2020年に世界が新型コロナウイルス感染症の蔓延(まんえん)に覆い尽くされ、様々な企画や事業の進捗(しんちょく)に急激なブレーキがかかってしまったことは大きい。事実、この展覧会に限らないが、本展も1年の延期や会場の変更を余儀なくされた。また、楳図自身の年齢から考えても、感染による重症化のリスクは少なくない。

 だが、コロナ・パンデミックの渦中となったから可能になったことがある。まず、展覧会の延期は、101点に及ぶ連作絵画を仕上げるのに必要な時間を楳図に与えた。もし予定通りの開催であったら、進行中の状態での展示になっていた可能性もあった。

 また、マンガのようにアシスタントが使えず、サポートする編集者もおらず、画材も技法も異なり、すべてをいちから工夫して描いていかなければならない絵画では、なによりも体力と集中力が必要となる。その点、外出が抑制され、家に籠ることが奨励される特別な時間は、絵を描くのにまたとない環境であったに違いない。

 こうして考えてみたとき、パンデミックによる生活環境の激変は、社会活動の大幅な停滞こそ余儀なくされても、創作者、とりわけ絵画や、もしくは文学のように、たったひとりですべてをこなす必要がある芸術家にとっては、必ずしも悪い条件ではない。というよりも、そうした状況下でなければ生まれない想像力を加速し、コロナ以前では見られなかったたぐいの作品を世に出す可能性がある。

 私が審査に加わっている岡本太郎現代芸術大賞は、現代美術の世界で新人を輩出する賞として知られている。今年で四半世紀の第25回を迎えたが、その記念すべき回に、最高賞の岡本太郎賞に輝いたのは、糸と針による、ひと縫いひと縫いから紡ぎ出される初の刺繍(ししゅう)作品で、作者である吉元れい花が結婚を機に刺繍を始めたのは35年前ほどのことだった。そこに費やされた膨大な時間だけでも想像を超えるものがある。だが、今回の応募は数年前に脳出血で倒れ、半身に不自由を抱えての創作だった。「人間の手の中で人間の手の速さでしか進まない手刺繍」、「一針一針の前進」と語る吉元の言葉は、楳図によるまったくの新境地の開拓同様、グローバル・ワールドを前提としてきたこれまでのアートに、別の次元を切り開く予兆ではないだろうか。(椹木野衣)

=(2月24日付西日本新聞朝刊に掲載)=

 

椹木野衣(さわらぎ・のい)
美術評論家、多摩美術大教授。1962年埼玉県生まれ。同志社大卒。著書に「日本・現代・美術」「反アート入門」「後美術論」「震美術論」など。

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