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遮られる世界 パンデミックとアート 椹木野衣<65> 【連載】問題意識の変化 潜伏する「見えない死」 「忘れない」ための芸術

2022/07/01 LINE はてなブックマーク facebook Twitter

 何度か書いてきたことではあるが、いよいよ街にかつての活気が本格的に戻りつつある――そんなふうに感じることができる日が続いている。不思議なことに、そうなると薄れていた季節の気配がむっくりと顔を出す。今度こそ「波」ではなく、数年に及んだコロナ禍も収束に向かいつつあるのだろうか。

 第1次世界大戦当時に猛威を振るった「スペイン風邪」も、これといって有効な対策もないまま、それでも数年が経過するといつしか姿を消した。パンデミックをもたらすウイルスの特性なのか、それはわからない。しかし、今回の新型コロナウイルスもまた、新たな株を増やしつつ同時に症状を見る限り、徐々に弱毒化しつつあるのは確かなことに思われる。今年になって私の周囲でも、顔がわかる範囲で感染者が次々に出て隔離を余儀なくされたが、ほとんどが実質、無症状だった。症状が出たからではなく、念のために調べたら陽性だったというだけで、調べないまま感染している人はもっとはるかにたくさんいることだろう。

福岡県筑後地方で流行性感冒が再燃したことを報じた1920年5月14日付の九州日報。
しかし、感染症への危機意識は収束に向かうにつれ、人々の記憶から薄れていった

 この後どうなるのか、まだ予断を許さないことに変わりはない。だが、もし本格的な収束ということになると、この連載もそろそろ終わりが近いことになる。そういう気持ちで考えてみたとき、未知の感染症が世界を瞬く間に覆い、各地で死者が相次いだ頃とは、心に抱く危機感の違いが著しいことに気付くのだ。あの頃、本連載の大前提は今回のパンデミックで世界の様相が大きく変わる、というものだった。であれば、アートもまたその以前と以後とではまったく違うものになってしまうかもしれない――そんな確信があった。

 だが現実にはどうか。今になって見ると、そこまでの変化が起きているとは思えない。すると、問題意識そのものが変化しつつあることに気づく。なにかと言えば「コロナ・パンデミックを意識せよ」から「コロナ・パンデミックを忘れない」へと移りつつあるのではないか。というのも、かつて第1次世界大戦をはるかに超える犠牲者を出したスペイン風邪が、その後、まるでなかったことのように忘れられていたことがあるからだ。しかしそれも現状を見る限り、わからないでもない気がする。

 戦争や震災と違って、感染症はものが物理的に破壊されるわけではない。多くの人が亡くなるにしても、爆撃や津波のようにひとつの場所でいちどきに命が失われるのとは違う。感染症による死は、どんなに数が多くても一回ごとの悲劇には時差があり、被害の全体より個別の見えない死のほうが人類史的な悲劇に潜伏する。

 それでもなお、戦争や震災とは別のかたちで、かつての危機意識のありようを維持しなけばならない。というのも、私たちの生活がもとに戻れば戻るほど「あれは大袈裟だった」「そこまで心配するほどのことでもなかった」という反動が起きるに違いないからだ。だが、そうなればそうなるほど、新たなウイルスの登場によるパンデミックが生じるリスクも高まる。スペイン風邪の時代とは違い、私たちはもはやウイルスによるエピデミックやパンデミックが繰り返される時代に入っている。

 そこで、なぜアートなのか。エンターテインメントと違い、時代への省察を伴うため、アートは状況に対して必ず遅れてやってくる。コロナ・パンデミックが人類になにを刻んだのか、本当の意味でアートが扱えるようになるのは、むしろこれからなのだ。(椹木野衣)

=(6月23日付西日本新聞朝刊に掲載)=

 

椹木野衣(さわらぎ・のい)
美術評論家、多摩美術大教授。1962年埼玉県生まれ。同志社大卒。著書に「日本・現代・美術」「反アート入門」「後美術論」「震美術論」など。

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