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菊畑茂久馬さんを悼む②/潮風吹く桃源の里、原点に 自らを批判、追い詰め 軽やかな晩年作へ【寄稿】

2020/05/27 LINE はてなブックマーク facebook Twitter

 かれこれ四半世紀ほど前、山陰地方の小さな美術館に勤めていた私は菊畑茂久馬の著作を片っ端から読み漁(あさ)っていた。縁もゆかりもない小都市に若い時間を囲われてしまうことに対する思い上がった拒絶感と焦燥、そして諦念とが入り交じり、当時の私の心はともすれば荒(すさ)みがちだった。そんな私にとって、地方にどっかりと腰を据え存在感を放ち続ける菊畑の言葉は人生の指針であり、救いでもあった。もちろん本人とは一度も会ったことはなかった。しかし、実家からそう遠くない場所に住むこの戦後美術の巨人を私は勝手に自分の先輩として崇(あが)めては「いつかこの人と仕事ができるようになりたい」などと、これまた勝手に夢見ていた。

  生活と制作の場所をついぞ福岡市から動かすことのなかった菊畑だが、その生まれは長崎市である。徳島県の漁村・志和岐の出身で遠洋底引漁の船団を率いていた父親が長崎にも基地を構えていたのだ。さらに母親は現在の長崎県五島市の出身。父親が急逝したのち、幼い彼は教育者であった母方の叔父に預けられ2年間ほど五島を転々としつつ暮らしている。「私の生涯の中で最も輝いた濃密な時間だった」と後に語る通り、最愛の母と別れて暮らす不安と孤独を抱えながらも、菊畑にとって当時の五島は「潮風吹く桃源の里」であった。そして、彼の原風景にはどこまでも青いその天と海がある。

1983年の菊畑さん。「奴隷系図(貨幣)」は61年の発表後に解体。
83年に東京都美術館で展示するために再制作された

 

  縁あって新しい美術館の建設にあわせ長崎県に奉職した私は、夢叶(かな)い、郷土ゆかりの作家を紹介する企画として開催された「菊畑茂久馬―ドローイング」(2009)、「菊畑茂久馬回顧展 戦後/絵画」(2011/福岡市美術館と同時開催)の2本の展覧会を担当することができた。長崎港をはさみ自身の出生地と正対する場所に建つ美術館で展覧会が開催されることを、作家は本当に喜んでくれた。展覧会準備の過程では、色々な局面でどやしつけられることもあるだろうと覚悟していたが、菊畑は逆に労(いたわ)るような気遣いを見せ、時に愚鈍を装いつつ常に先回りしながら私の言葉と行動を導いてくれた。まるで自分の本音で相手に惨めな思いをさせてしまうことを怖れるように。いや、自分の内なる聖域に覚悟無き者が触れようとすることを拒むように。

2009年ごろの菊畑茂久馬さん。ドローイングの「春光」シリーズへの手応えを語っていた

 

  絵とは何か。絵を描くことの根拠は何か。「天動説」のシリーズ以降、自己を欺瞞(ぎまん)せず、自らを常に反省的に捉え、自分自身を完膚無きまでに批判しつつ追い詰めるような仕方で仕事を展開してきた菊畑。晩年の「春風」のシリーズ、それにつづく「春の唄(うた)」のシリーズからはしかし、何かを慈しむような軽やかでやさしい香りが漂ってくる。これらのシリーズにおいて、菊畑は自分自身、そして自分の絵画を肯定的に抱きしめようとしているのだと信じたい。

  菊畑が他界したちょうどその頃、偶然にも私は五島を遥(はる)か遠くに望む海の上にあった。海原を吹き渡った風は、あるいは彼の天への旅立ちを告げていたのか。

  菊畑先生、ありがとうございました。心よりご冥福をお祈りいたします。(野中 明=長崎県美術館学芸専門監)

=5月26日付西日本新聞朝刊に掲載=

◇画家、菊畑茂久馬さんは5月21日、85歳で死去。

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