特別展
奈良 中宮寺の国宝
2021/01/26(火) 〜 2021/03/21(日)
09:30 〜 17:00
九州国立博物館
2021/02/27 |
九州国立博物館(太宰府市)で開催中の特別展「奈良 中宮寺の国宝」の見どころを同館の小泉惠英(よしひで)・学芸部長が5回にわたって解説します。
一幅の絵 詰まる歴史
奈良斑鳩の地で、飛鳥時代(7世紀)に創建された中宮寺。聖徳太子の母の間人(はしひと)皇后の宮を寺とした、あるいは皇后自身が寺を興した、などその成り立ちには諸説ある。隣の法隆寺と僧寺と尼寺の関係にあり、中宮寺も当初より聖徳太子と何らかの関わりを持っていたのであろう。
この「間人皇后像」は、飛鳥時代の人でありながら十二単(ひとえ)をまとった美しい宮廷の女性の姿に描かれる。像の上にある賛(詩文)は、皇后を西方の阿弥陀仏とすることを説いている。
これは「太子廟窟偈(びょうくつげ)」という文章からの抜粋で、冒頭にある我(わ)が身とは聖徳太子のこと。同文の他の箇所には、太子は救世観世音、太子の妃である橘大郎女(たちばなのおおいらつめ)は勢至菩薩(せいしぼさつ)と記される。間人皇后と合わせて阿弥陀三尊と同一視されていたことになる。こうした信仰は平安時代に生まれたようである。なかでも聖徳太子が救世観世音と等しいとする点は、超人視され神格化されていく聖徳太子への信仰の発展を考える上での要となる。
この絵が描かれた江戸時代の中宮寺は、皇族や公家が住職を務める門跡寺院として営まれていた。絵を作らせたのは、後西天皇の皇女で中宮寺の第3代門跡となった慈雲院宮(じうんいんのみや)、描いた徳巌理豊(とくごんりほう)はその妹。賛は2人の姉の普賢院宮(ふげんいんのみや)が書いている。天皇家の姉妹による合作という訳である。
たった一幅の絵から、中宮寺の長い歴史をひもとくと、多くのことが読み解ける。それにしても飛鳥時代の間人皇后が平安時代の十二単をまとうのは、江戸時代の人が考えた公家の正式な装束だったから、であろうか。(小泉惠英(よしひで)・九州国立博物館学芸部長)
=(2月23日付西日本新聞朝刊に掲載)=
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