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九州国立博物館 特別展 北斎 画狂人の晩年<上>真正の画工への執念

2022/05/10 LINE はてなブックマーク facebook Twitter

 江戸時代後期の絵師、葛飾北斎(1760―1849)の肉筆画と晩年に焦点を当てた特別展「北斎」が福岡県太宰府市の九州国立博物館で開催中だ。生涯で3万点を超える作品を残し、海外の印象派画家にも影響を与えた世界で最も有名な日本の芸術家の一人。浮世絵版画で「名所絵」のジャンルを確立し、一流絵師として人気を博したものの、「真正の画工」への渇望は命尽きる直前まで消えることはなかった。北斎が肉筆画を残した長野県小布施町を訪ね、晩年の北斎の画業をたどる。

「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」(大阪・和泉市久保惣記念美術館所蔵)<5月15日まで展示>

 70歳までに描いたのは取るに足らぬものだった。73歳でようやく生き物の骨格、草木の成り立ちを悟ることができた。80歳になればますます上達し、90歳になれば一層その奥義を極め、100歳ではまさに神妙の域に達するだろう。百何十歳になれば絵の一つ一つが生きているかのようになるだろう。長生きする君子よ、私の言葉が偽りでないことを見届けてほしい。(飯島虚心著「葛飾北斎伝」より。現代語訳)

 葛飾北斎75歳の決意である。版本「富嶽百景」の巻末にこう記すとともに、画号を「画狂老人卍(まんじ)」と改めた。齢を重ねてもなお尽きぬ画技の粋への情熱。自身が「取るに足らぬ」と評した70歳までには浮世絵版画、肉筆画などで幅広く画筆をふるい、誰もが知る一流絵師としての地位を築いていた。

 70代を迎えても筆は衰えることなく、74歳までの4年間で多くの代表作を生み出す。そのひとつが風景版画「冨嶽三十六景」である。富士山を主役に、斬新な構図で波や人々の暮らしを生き生きと描き、「名所絵」として爆発的ヒットを巻き起こす。西洋から輸入された合成顔料「ベロ藍」(プルシアンブルー)を使い、本藍では困難だったグラデーション彩色を多用したのが特徴だ。

 だがその後、北斎は肉筆画と和漢の故事古典に基づく作品、絵手本へと回帰していく。

岩松院本堂の天井絵「八方睨み鳳凰図」。鳳凰はどこから見てもこちらを見据えるといわれる
=長野県小布施町
編注
北斎館に収蔵展示されている東町祭屋台(手前)。北斎は天井に「龍」と「鳳凰」を描いた
=長野県小布施町

 天井から今にも舞い降りてきそうな迫力の鳳凰図。長野県小布施町の岩松院本堂天井に描かれた「八方睨み鳳凰図」は北斎89歳ごろの作品といわれている。21畳の大きさで色鮮やかに描かれた、力強い肉筆画の傑作だ。

 北斎は83歳の時、自由に描ける環境を求めたのだろうか、小布施への旅に出る。何が起きたのか。

 北斎が生きた江戸時代後期は、民衆の間で旅行がブームとなり、名所絵の売れ行きは好調だった。北斎の小布施行きには、当時北斎と並ぶ人気絵師だった歌川広重(1797―1858)の台頭が影響している。対象の大胆なデフォルメや奇抜な構図で描く北斎と異なり、広重はリアリティーと情感あふれる作風で次第に人々の心をつかんでいく。さらに北斎の名所絵を扱っていた版元が経営難に陥り、出版が難しくなるという事情もあった。結局、北斎は名所絵の制作をやめてしまう。

 加えて、時代の変化も影を落とす。幕府の財政は次第に逼迫、天保の大ききんなども重なった。財政立て直しを図ろうと老中水野忠邦は天保の改革を実施、風紀粛正が娯楽である浮世絵にも及び、検閲など規制が強まったのだった。

 北斎が小布施を選んだのは、江戸で知り合い、招きを受けていた豪商、高井鴻山(1806―83)を訪ねるためだった。当時住んでいた江戸から約240キロ、徒歩でなら8日間を要したという長旅だった。
  
 訪問を予告することなく突然小布施に現れた北斎は、流行絵師とは思えぬみすぼらしい格好をしていたようだ。高井家の使用人が追い返そうとしたというエピソードが残っている。

 鴻山は江戸や京都を遊学し、絵画や書にも精通した文化人だった。北斎とは46歳差で、北斎を「先生」と呼び、アトリエを提供。経済的支援者であり、門下生でもあった。鴻山は北斎に祭屋台2台の天井絵と、自身の菩提寺である岩松院の天井絵を依頼、北斎は小布施を数回訪ねて制作したという。

 岩松院の八方睨み鳳凰図は金箔4400枚を使用し、絵の具代150両などは鴻山が負担した。鴻山が北斎に託した思いと信頼がうかがえる。高品質な絵の具と湿気が少ない信州の気候のせいか退色や劣化が少なく、170年以上たった今も色あせぬままである。

「龍図(東町祭屋台天井絵)」(長野・小布施町東町自治会所蔵)
「鳳凰図(東町祭屋台天井絵)」(長野・小布施町東町自治会所蔵)

 鴻山が依頼した祭屋台の天井絵は現在、同町の北斎館にある。その一つ、東町祭屋台の「龍図」と「鳳凰図」は、しぶきを上げる波と鮮やかな紅の中を飛ぶ龍と、闇を舞う鳳凰が対比して描かれている。ダイナミックな半面、龍のうろこの1枚1枚まで精緻な筆致。当代随一の絵師・北斎は、小布施で心のままに伸びやかに筆を振るった。

 北斎館の学芸員中山幸洋さんは語る。「絵画は流出することもありますが、祭屋台や天井絵なら地域に残ります。鴻山は地域のために北斎の絵を残したかったのでしょう」

 浮世絵は陶器を輸出する際の梱包材として使われたことなどをきっかけに海外で注目され、多くが流出した。北斎の作品の多くも海外に渡ったが、2台の祭屋台と岩松院の天井絵は今も小布施に残り、小布施は北斎が創作を行った地として名を残した。

 鴻山の願い通り、北斎は小布施に生き続けている。(山本孝子)

=(4月23日付西日本新聞朝刊に掲載)=
  ※年齢は数え年で表記

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