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【コラム】北斎のビッグウエーブ 

2022/05/13 LINE はてなブックマーク facebook Twitter

 葛飾北斎の「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」は海外でビッグウエーブなどと呼ばれる。海の絵として世界で最も有名だという。描かれた大波はサーフィンで言うところの「チューブ」、分類上は「巻き波」である。

冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏 葛飾北斎 江戸時代・天保元~2年(1830-31)頃 大阪・和泉市久保惣記念
=九州国立博物館 特別展「北斎」(5/15まで展示)

 画家ゴッホは書簡にたびたび北斎の名を記したが、「神奈川沖浪裏」に関しては特に具体的に言及している。また作曲家ドビュッシーは管弦楽曲「海」の初版スコアの表紙をこの絵で飾った。現在のCDジャケットにも使われている。一流芸術家の入れ込みようからみて「最も有名」は誇張ではなさそうだ。

 カメラのない時代に水の形状を捉えることは難事だった。先人の多くは巻き毛のように表現し、後進もそれに準じた。レオナルド・ダビンチも例に漏れず、水流を巻き毛のベルトコンベヤーのように表現している。天才の腕をしても、本物の水とは隔たりがあると感じる。

 一方、北斎が描いた海は生き生きとした実感を伴う。大波の先端は巻き毛形表現ではなく、かぎ爪形で表す。斬新かつ的確だ。かぎ爪形は古い中国画にも見られるが、北斎の造形は凹凸が整理され、水勢にかなっている。先行作品は飛沫(ひまつ)の描写が弱いため、波頭が行き場を失って凝り固まったように見えるが、北斎はしぶきを誇張しているので、波が砕けて滴になる過程が柔軟性とともに理解される。

 最も大きな波に注目したい。波は水深が浅くなると伝播(でんぱ)速度が遅くなる性質を持つ。岸に近づいた遅い波は、後ろから追い付いてきた沖の波に押されて高さが増し、前のめりの大波となる。チューブは岸で砕ける直前に現れる波形なのだ。

 北斎は若い頃の作品「江島春望」などで岸辺の波を繰り返し描き、特徴を感得した。「神奈川沖浪裏」では、岸の波をあえて沖合の海に合成し、写実を超えた独自の海景を創作したと言える。自然界に存在しない海なのだから、北斎の独壇場となるのは理の当然だ。唯一無二の名画として世界の目に刻まれた。

 海面の沈降と隆起、しぶきと大波に潮の香が匂う。画法は戯画的だが、その単純さをして海の実感を余す所なく伝える。

 先に触れたゴッホは、北斎の誇張の妙を看破し、たたえている。「波はかぎ爪であり、船はそれに捕らえられている。(中略)もし描写が写実的なだけだったなら、このような感動をもたらすことはできないだろう」(大串 誠寿 写真デザイン部編集委員)

=(5月7日付西日本新聞朝刊に掲載)=

特別展「北斎」は、九州国立博物館で6月12日(日)まで開催中です。

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