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小説家・砥上裕將氏によるコラム「 若冲、琳派、京の美術 — きらめきの細見コレクション —」を見て(上)」

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アルトネ編集部
2026/05/29
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九州国立博物館で開催中の特別展「若冲、琳派、京の美術 — きらめきの細見コレクション —」が好評だ。京都・細見美術館が誇る日本美術の至宝が一堂に会するこの展覧会に、小説家で水墨画家としても活躍している砥上裕將氏からARTNEにコラムを寄稿いただいた。3回にわけて掲載する。

花鳥図押絵貼屏風(右図) 伊藤若冲 江戸時代 

若冲、琳派、京の美術、きらめきの細見コレクション、後期展の中を歩く。
数多くの名品が並ぶ中で自然に目を止めたのは、やはり水墨画の作品群だった。
中でも目を止めたのは、やはり若冲。
「花鳥図押絵貼屛風」で、目が自然と吸い込まれ、引き付けられる。足が動かなくなる。私はわざわざ一度目を閉じて、開いた。
誰が見ても分かることだが、上手い、上手過ぎる。
それがまず重みをもって胸に響いてくる。
若冲といえば彩色が施された煌びやかな絵が定番だが、私は断然、水墨画が好きだ。私がわずかながら理解できるものが、ほぼ水墨画に限定されているというのも理由の一つだけれど、それにしても水墨画家としてだけ若冲を見ても並の絵師ではない。
突出した上手さを感じる。
上手さの理由は、第一に若冲独特のフォルムにある。どの絵も絶妙に記号化されていて、無駄がない。考えうる限り完璧に減筆(筆数を減らし、筆致を際立たせること)されていて、描き心地がたまらなくいいのだ。
今回、「花鳥図押絵貼屛風」の中で最初に感動したのは、鶏の足の付け根の空間だった。図版ではほとんど気にもならないようなわずかな隙間だけれど、実物を見ると案外目立つ。
普通の絵師なら、鳥の胴体と足の間はひっ付けて描いても問題のないのだから、ぴったりと隙間を埋めたくなるはずだ。
だが若冲はそれをしない。しかも空けるにしてもかなり大きく空けている。
「離れていても、ここに足があるんですよ。分かりますよね?」
とこちらに語り掛けているようにも思える。
私はこういうところに達人を感じる。

いったい何が言いたいかというと、こういう小さな隙間、現実にはあるはずのない空間こそ若冲の水墨画家としてセンスそのものであり、彼の宇宙のように感じるのだ。
何を言っているんだ? と思われても仕方ないが、実際に絵の前に立つと、その不自然な空間を見ていても私たちには一向に違和感が湧かない。
それはつまり、若冲が描いた超現実の記号化された世界が、私たちの現実を凌駕しているということなのだと思う。
こうした工夫は、若冲水墨画のいたるところに見られる。
アクセントのためにぽつんと一つ置いた点の表現にしても、大きすぎるし、丸を描けば丸すぎるし、およそ現実とは到底思えない。
それなのに目を引き付けられて、離せなくなるのは、若冲が設計し企図した世界が私たちの現実を飲み込んでいるとしか言いようがない。
これこそまさに、水墨画の面白さなのだ! と教えてくれているようだ。

さらにいうと、仕掛けの根本にあるのは、先ほども述べた形そのものの面白さなのだけれど、その形をミステイクなしで心地よく見せてしまう筆致にもある。
この二つは相乗効果を生んでいて、極端にデフォルメされて記号化された若冲らしい形に対象が作り変えられているからこそ(この場合、鶏や花)、少ない筆致で描けるようになっていて、少ない筆致になっているからこそ一筆一筆が際立つ。
毛筆というものの機能や自分が気持ちいいと思える筆致(若冲の場合は?マークによく似た回転する筆跡だろう。弧の上の方で力を込める癖がある。硬いが穂が長い筆かもしれない)を最大限に生かす形をわざわざ選び取っているのだ。
その結果、一筆の圧力や画面の支配力が他の絵師とはことなるほど大きくなっていて、絶妙な空間を生み出すことになる。鶏の足の付け根に隙間が空いていたって、全く気にならない。
「それはそういうものだ」としか思わなくなってしまうのだ。
絵師が対象に支配されず、対象を支配しているのが分かる。
だが実際に、これを判断し行うことができるのは常人の神経では無理だと思う。

我々は鶏の足はつながっていると思っているし、世界に対してどこかで辻褄を合わせようと、お利口に頭を働かせてしまう。結果つまらないものを作ったり、面白くない現実をわざわざ描き出したりして、しょうもないものを生み出してしまうのだけれど、若冲にはそれがないのだ。

こうした「小さいけれどしびれる工夫」は実際に絵を見るといたるところにあって、左隻の一番端っこの黒い鳥の体毛の一部にだけある小さな隙間などその一例だ。
鳥の体毛に小さな隙間があけられているのだけれど、一見すると塗りムラのように見える(実際は計算されて筆を走らせている)そこに若冲は中程度の薄墨を塗っている。こういうものも写真にはほぼ写ることはなく現物でしか確認できないものだろうけれど、私などはこの小さな隙間と、「ひと手間」にしびれてしまう。
一か所、ちょっとわざと空けておいて、薄い墨を塗る。羽の付け根の光が反射しやすい凹凸のある箇所だ。そこが薄墨によってキラッと光るのだ。
これだけで光が見えて、黒はさらに黒く見える。真っ黒い烏(叭々鳥なのだろうか)の漆黒としかいいようのない滑らかさと美しさが表現されている。墨の濃度は他の画面と同じだ。だがその黒い鳥だけが特別に黒く潤って美しく見えるのだ。
ここにも若冲が見ている世界が表現されていると思った。
私は足を止めて、ため息をついて、落ち込む。
こんな風に描けるわけない、と思う。
この若冲という人は、本当に人間なのか、とさえ思ってしまう。我々凡人では及ぶことのないセンスと知性がそこにある。そして、また絵に視線を注ぐと、絵は私を嘲笑うかのように晴れやかに語り掛けてくる。足の付け根の妙にも似た心地よいまでの余白が私の心を侵食する。画面全体のリズムが心地いい。本物でしか味わえない現実の作品と感覚との衝突が起こる。私は落ち込んでいたような気がするけれど、また急に幸せになったようにも感じる。
現実をぶっ飛ばすほど、美しいものが目の前にあるのに、自分のことなど考えていられない。私は心動かされ、世界の認識を変えられる一瞬のためにこの特別展に足を運んだのだと、ふと思い出す。若冲は私にそれを約束してくれる作家だ。
そしてまた、目を走らせて、彼の宇宙の中に小さな発見を繰り返す。
私はため息をついた。この作品に出会えてよかった、と会場で呟いた。
 

砥上裕將

1984年生まれ。福岡県出身。水墨画家、小説家。
水墨画家として活動する傍ら、小説を執筆。2018年に第59回メフィスト賞を受賞し、2019年水墨画を題材にした小説『線は、僕を描く』で小説家デビュー。
『線は、僕を描く』は『週刊少年マガジン』で漫画化連載され後に、映画化された。また同作は第3回ブランチBOOK大賞2019を受賞。
2020年、第17回本屋大賞にもノミネートされている。他著書多数。

【開催概要】ーーーーーーーーーー
若冲、琳派、京の美術 ―きらめきの細見コレクション―
日程:2026年4月21日(火) ~ 2026年6月14日(日)
 ※一部作品を前期(4/21~5/17)・後期(5/19~6/14)で展示替え
会場:九州国立博物館
時間:9:30 ~ 17:00  
 ※入館は、閉館の30分前まで。 特別展開催中の土曜日は夜間開館
 ※夜間開館の時間は変更になる場合があります。
休館日:月曜
料金:一般2,000円、高大生1,200円、中学生以下無料
主催:九州国立博物館・福岡県、西日本新聞社、RKB毎日放送、西日本新聞イベントサービス
問い合わせ:050-5542-8600(ハローダイヤル:9:00~20:00/年中無休)

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