ギュスターヴ・モロー展 サロメと宿命の女たち
2019/10/01(火) 〜 2019/11/24(日)
09:30 〜 17:30
福岡市美術館
浅野 佳子 2019/11/19 |
福岡市美術館で開催中の展覧会「ギュスターヴ・モロー展 サロメと宿命の女たち」(会期は11月24日(日)まで)。10/27に行われた中野京子さんの講演会では、モローを取り巻く実在の女性たちの話に始まり、モローに至るまでの様々な時代の画家がどうサロメを描いてきたのか?に焦点を当てて語られました。
展覧会では、母ポーリーヌと長年のパートナーだったが生涯結婚することがなかった女性アレクサンドリーヌの絵が多く展示されています。ここで中野さんは、この時代のヨーロッパにいた「ガヴァネス」という女性の存在に触れます。
「まだ女性が働くことが軽蔑されていた時代に、住み込みで女性教師として働く女性のことを“ガヴァネス”といいました。良家の子女に、勉強やピアノや礼儀作法を教えられる知識を持つ彼女たちは何者かというと、零落したお嬢様なわけです」。
ここでレッドグレイヴ《かわいそうな先生》の絵が示され、いかにガヴァネスがこの時代のヨーロッパの絵画や文学に多く登場するかに言及されます。
「イギリス文学には、たくさんのガヴァネスが登場します。シャーロック・ホームズの相棒・ワトソンの夫人メアリーも、シャーロット・ブロンテが書いたジェイン・エアもガヴァネスです。そしてなにより空前絶後のガヴァネスは、キュリー夫人として知られるマリ・キュリーですね。そして、モローの愛人であったアレクサンドリーヌもこのガヴァネスで、だから結婚できなかったのではないかと考えられています。」
もともとドイツ文学を専門とする中野さんの、ジャンルを横断する知識が、絵画の背景をどんどん豊かにしていきます。
「多くのファム・ファタルを描いたと言われるギュスターヴ・モローですが、彼は母や愛人をそれに重ねたかといえば、NO。現実とは別に、絵の中では幻想的な世界を描き続けました。」
モローが《出現》を描くまでに、画家たちはどのようにサロメを描いてきたのでしょうか?
「サロメが登場するのは、新約聖書。しかし名前は記されず、“ヘロデ王の妻ヘロデヤの娘”として登場します」と中野さん。もともとは、王から踊りの褒美を尋ねられた時に、母の言いなりになって「ヨハネの首をください」と頼むという話でした。
「それまでは、“体が柔らかく曲芸的に踊る子ども”であったのが、だんだんとサロメ自身がヨハネの首を望むという物語に読み替えられていきます。おそらくは、中年の女よりも若い娘が所望したほうが絵になるという、画家たちの美的判断があったのでしょう」。多くの画家が描いてきたサロメをモチーフとした絵の中から、いくつかの例が紹介されました。
まず15世紀に描かれたフィリッポ・リッピ《ヘロデの宴》。ここでは、“異時同図法”という技法が用いられ、画面の左ではヨハネの首を受け取るサロメ、真ん中では踊るサロメ、右ではその首を差し出すサロメの姿が描かれています。
さらに時代は下って1608年のカラヴァッジョの作品《聖ヨハネの斬首》。この作品ではヨハネの首の切り方がイスラム式であることから、言外に聖人を殺すのは異教徒であることが示されているのではないか?との見解が示されます。
続いて紹介されたのが、1894年にオスカー・ワイルドの戯曲『サロメ』の挿絵として描かれた、ビアズリーの《踊り手の褒美(サロメ)》。こちらは、中野さんが監修した、2017年度「怖い絵展」にも展示され、若い人たちに大きな反響をよんだ作品です。ここでのサロメは、古井戸に閉じ込められているヨハネに夢中になり、自分の魅力を一顧だにしないヨハネの首を欲しがります。ビアズリーが描いたシーンは、ヨハネの首はテーブルに置かれているようで、実は古井戸からにょきっとのびた恐ろしい腕で支えられていることが分かります。ここで中野さんは、オスカー・ワイルドの「処女の性欲ほど怖いものはない」という言葉をひき、世紀末に処女性に対する幻想や悪女に魅了される傾向があったことを説明します。
ビアズリーの20年ほど前に描かれたのが、モローの《出現》でした。「誰もこんなシーンは描きませんでした。物語のシーンでもなく、サロメの前に空中浮遊する首が現れるという幻想的な風景です。そして、その首が見えているのは、サロメだけなんです。」
中野さんは、この時代に“ふつうでないものを描きたい”という画家の欲求があったのではないかと考えています。それを表現するのに、サロメは魅力的な画題であったというわけです。
「モローは“サロメに取り憑かれていた”という人もいるくらいです。今回の展示でも、この《出現》に至るまでの習作の数々が展示されていますよね。そのモローの執着が、この絵にはっきり表れていると思います。絵の上から執拗に細い線で描かれているのは、古代の建物などを模したもの。モローはインテリでしたから、研究の成果や知識を絵の中に盛り込んでいます。今回の展示では、そのモチーフの元も紹介されていて、興味深いです。そうして完成した絵は、キラキラとしてまるで宝石のようです。」
中野さんが書いた『怖い絵』一連の著作は、大きな評判となりました。時代も国も様々な絵画を“怖い”という概念で読み直す知的な試みを、多くの読者が楽しみました。
「例えばドガの《エトワール、または舞台の踊り子》の踊り子たちは、いまの良家のお嬢さんたちの習い事とは、全く異なる環境に置かれていました。私が知る限りは当時そのことを言及している人はおらず、美術の人たちも知っているはずなのに、なぜ書かないのかしらと思っていました。『絵だけを見て感じましょう』という傾向が強かったのですね。」
しかし中野さんは、それでは知識がない一般の人達が絵を楽しむのは難しいのでは?と考え、書いたのが『怖い絵』のシリーズだったそう。“怖い”をテーマにしたのは、自分が見ている絵のどこを怖いと感じているかを探るのが楽しかったから。
「見るからに怖い絵もありますが、一見怖くないのに背景を知っていくうちに怖くなってくる絵もあります。そのバリエーションに気づいた時に、おもしろいなと感じました。」
今回の講演で登場したレッドグレイヴ《かわいそうな先生》やビアズリー《踊り手の褒美(サロメ)》も、著作の中で取り上げられています。中野さんは「絵に力があると、もっといろいろな背景を知りたくなります。その助けに読んでもらえるとうれしいです」と話してくださいました。
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