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遮られる世界 パンデミックとアート 椹木野衣<14>【連載】芸術にとっての手や顔 不気味さに向かっていた高村光太郎の著名な彫刻

2020/06/05 LINE はてなブックマーク facebook Twitter

 新型コロナウイルス感染症がアートに与える影響は、遠隔型のアート(メディア・アートの伸張)のようなわかりやすい対症療法だけでなく、より根源的な次元にまで及んでいるように考えられる。

 たとえば、芸術家にとっての手や顔の位置付けがこれにあたる。人類が手を駆使して道具を操り、文明を築いていったことや、鏡に写る自己像を認識し、個人という枠組みが形成されていったことを思い起こそう。あらためて確かめるまでもなく、手や顔は芸術にとって、技芸や内省といった成立条件そのものに関わる器官なのだ。

 ところが、新型コロナウイルスがヒトに宿す場所は、まさしくこの手と顔にほかならない。ウイルスは手によって媒介され、顔の粘膜から体内に侵入する。徹底した手洗いとマスク(顔を触らない)がなにより奨励されるのは、そのためにほかならない。

 私たちはこれまで、自分の手や顔が身体のなかで、もっとも危険な場所だなどとは、よもや認識してこなかった。むしろ逆だろう。手や顔は自分にとって、もっとも親密な場所だった。新型コロナウイルス感染症では、それが逆転してしまう。手や顔が、自分にとって最大の警戒すべき対象となる。場合によっては敵となる。

 このことが、アーティストたちにとって、たいへん大きな価値観の転倒に繋(つな)がらないはずがない。もはや手は技芸の味方ではなく、これまで通り絵を描くにせよ、最先端の装置を操るにせよ、つねに清潔に保たなければならない危ない他者性を帯びてくる。同時に顔では、ときにやさしく(それこそ)手で慰撫し、表現する主体の実在を確かめるにも気を使わなければならなくなる。

 アーティストにとって新型コロナウイルスの蔓延(まんえん)は、以後、避けることができない自己の分裂が生じることを意味するのだ。

 人間の器官を扱った彫刻では、三木富雄の巨大な耳の彫刻がすぐに思い浮かぶ。

 耳をかたどった三木の彫刻の不気味さは、そもそも彫刻の主題として耳を前面化するアーティストが過去にいなかったことに多くを負っている。耳は音楽にとってはしごく身近でも、美術にとってそれほどまでのことはない。美術には、視覚をつかさどる眼がなんといっても根本的なのであって、ゆえに肖像画の主題は同じ顔でもひときわ目に集中している。耳は物理的にも意味的にも脇役だ。三木はそれを主題化した。

 ところが新型コロナウイルスが蔓延した状況では、耳のように、表現の対象としてわざわざ意識をめぐらす必要のなかった手こそが、最大限に不気味な対象となる。

 たとえば高村光太郎の彫刻に「手」がある。だが、その著名さとは裏腹に、その不自然さは、ふだん手が取るポーズではない。ゆえにこの作品への解釈はこれまでも様々(さまざま)だった。だが、高村の意識が手の不気味さそのものに向かっていたのはあきらかだ。

 なぜ高村は、手をこれほどまでに不自然視したのだろう。この作品の制作年は確定していないものの、一般に1918年頃とされている。

 私たちはいまでは、この年号から、ただちにスペイン風邪によるパンデミックを連想する。むろん、高村の制作時期がスペイン風邪の蔓延と重なっているかはわからない。また、手がウイルスを媒介する最大の感染源という認識があったかどうかも不明だ。

 だが、少なくとも私たちは、これらのことを通じ、高村によるこの手の彫刻に、かつてない意味を見出すようになっている。(椹木野衣)=6月4日付西日本新聞朝刊に掲載=

 

椹木野衣(さわらぎ・のい)
美術評論家、多摩美術大教授。1962年埼玉県生まれ。同志社大卒。著書に「日本・現代・美術」「反アート入門」「後美術論」「震美術論」など。

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