江口寿史展
EGUCHI in ASIA
2024/11/09(土) 〜 2025/01/12(日)
福岡アジア美術館
山出淳也 2020/12/08 |
センセイとの出会い(後)
続けてセンセイはこう言った。
「君がすべきことは描くことやないんや。見ることなんよ」
絵を描くために大分市の画塾に通い始めた僕は混乱した。学校の美術の時間では、手を動かすことに多くの時間が費やされ、慣れてきた。そのため「美術=表現行為」と認識してきたのかもしれない。だから、上手に描けない僕のような人間は、美術は苦手だ、となってしまった。
考えてみたら、学校の美術の授業では“見る”ということに特化した時間は少なかったが、ある日の中学での授業は強烈に覚えている。「この絵は何を意味しているか分かるか?」と教師に当てられた。「悲しく感じます」と答えると、「違う。これは時間を表現している」と言われた。絵には答えがあるのかと、ますますよく分からなくなった。
とにかく、センセイから言われる通りに、モチーフがなんであれ、よく目を凝らして見ることにした。
目の前に真っ黒な球が置かれているとする。形や素材、硬さや重さはもちろんのこと、置かれている場所の状態も黒い玉の有り様に関係してくる。例えば、背景は白か黒か、どんな光が当たっているかによって見え方は違うはず。物自体の本質的な姿とは別に、置かれる時間帯や時代によって意味や価値すら変わってくる。さらに言えば、見る人の捉え方やその時々の感じ方によっても、見えるものは異なっていく。
そんな僕も年月がたちアートの専門家として見られることが増えてきた。「これは何を意味しているんですか?」と絵を前にして聞かれることがたまにある。時々めんどくさくなって「海です」とか、青い色を絵の中に見つけ適当に答えてしまう。そうすると、ふむふむと頷(うなず)き「あぁなるほど。いい絵ですなぁ」と感心してくれる。見ることを省き、感じる力を疎(おろそ)かにしてしまう。答えを知ることで安心するのだ。
そう言えば、高校生の時にテレビで見た石を彫る初老の男性も、センセイと同じようなことを言ってたな。「石がなりたい姿が分かるまで見る。彫ることは、なりたい姿に近づく手伝いだ」(やまいで・じゅんや=アーティスト、アートNPO代表。挿絵は鈴木ヒラクさん)
=(11月4日付西日本新聞朝刊に掲載)=
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