江口寿史展
EGUCHI in ASIA
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福岡アジア美術館
2020/12/25 |
いよいよ2020年、令和2年も年の瀬が迫ってきた。思えば、なんという一年だったのだろう。ふだんであれば今頃は、年末に溜(た)まった仕事に追われながらも、忘年会やクリスマス、そのあとの大(おお)晦日(みそか)から元旦に至る一年でも特別な時の経過を間近に控え、誰もが心浮き立つ。帰省で懐かしい顔と出会うのを楽しみにしたり、国内外の遠出で一年の疲れを癒やそうと指折り待つ者も多かったはずだ。
ところが、今年は新型コロナウイルス感染症の拡大で、そのいずれもがうまくいかない。感染の拡大防止に最大限に注意を払っても、完全に不安が払拭(ふっしょく)されるわけではない。マスク越しの会話は表情の喜怒哀楽を遮るし、遠隔通信を使っても、届くのは結局モニターのなかの音と画像だけだ。
こうした年末年始を、私たちはこれまで経験したことがない。暦である以上、新年はパンデミックであろうが無関係に訪れるが、日本人が新年を迎えるのは、単に年の蓄積に止まらない。そこには禊(みそぎ)--一年の穢(けが)れを水に流し心身を清めて再生する--の側面が強い。そのような心理がうまくいかない場合、時はうまく分節化されず、私たちの心に淀(よど)みを残す。今年は私の故郷の秩父でも、一年に一度の例大祭が大幅に縮小された。この祭りを生きがいに幼い頃から一年を過ごす者も少なくない。彼らの心にいま、いったいなにが起きているだろうか。
こうしたことは、震災や豪雨で家を失うような意味では、「ただちに影響はない」。だが、響きなき黒い影は、私たちのまわりに着々と忍び寄っているように思えてならない。
今年は、成功者の象徴のような芸能人の自殺が相次ぎ衝撃を与えたが、著名人だけではない。警視庁のまとめでは、2010年から19年まで10年連続で減少していた自殺者が、11月には前年の同月比で11・3%も増えている。コロナ禍で生活や経営などに行き詰まるなど具体的なきっかけがあるものばかりではないだろう。一見してはふつうに暮らしていても、時が分節化されない心の淀みが、どこかで関係していないだろうか。
実際、今年は四季に象徴される季節感をほとんど感じなかった。その代わり、一人ひとりの行動や感情を左右したのは感染者数の推移であり、予測ができない周期的な波である。春夏秋冬に代わって、第2波、第3波という言葉を頻繁に聞くようになった。が、もとよりそこに情緒や美意識は備わっていない。情緒や美意識を欠いた時の経過は、ただ刻まれていくだけで、しかももとのような時が取り戻せる目処(めど)は見えていない。
前にこの連載で、今後は夏が感染拡大前の最後の季節として特別な意味を持つようになるのではないか、と書いた。だが、そこから一歩進んで、統計的に感染者数の推移の傾向が数値化されれば、一年のなかで自粛期間が固定化され、季節や行事に代わって私たちの生活を支配、制御するようになるかもしれない。四季が消える--そんな砂を噛(か)むような時の経過に、果たして私たちは長期にわたり耐えられるだろうか。
こうした傾向は、年を越すともっとはっきりしてくるだろう。表現において、リモートの可能性を積極的に追求するのはよい。だが、内向と心理の抑うつ的な沈降をどう表現に変えることができるか、アートにとっても、かつてない大きな試練となるはずだ。(椹木野衣)
=(12月17日付西日本新聞朝刊に掲載)=
椹木野衣(さわらぎ・のい)
美術評論家、多摩美術大教授。1962年埼玉県生まれ。同志社大卒。著書に「日本・現代・美術」「反アート入門」「後美術論」「震美術論」など。
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