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遮られる世界 パンデミックとアート 椹木野衣<50> 【連載】顔の「表象」 表情を奪うマスク 肖像的表現に変化

2021/11/09 LINE はてなブックマーク facebook Twitter

 気温がだいぶ下がり冬の気配が迫ってきた。風邪の季節でもある。だが新型コロナウイルス感染症は日を追うごとに下火になりつつあり、街はいっそう活気を取り戻している。

 個人的にも延期となったり時期を見ていた調査や視察、講演が立て続き、このところ島原、新宮(和歌山)、京都と出向いたが、飛行機も新幹線も以前とは比べ物にならないほど混んでいて、飲食も夜の通りも賑(にぎ)やかで歓楽の笑い声が絶えない。実際、店も深夜遅くまで開いている。手指の消毒や体温の計測も、キーワードだった「ソーシャル・ディスタンス」も、いまやどこか儀礼的だ。美術館も入場制限はあるのだろうが、人気の展覧会ではすれ違う距離もほとんどない。ただ、マスクの習慣だけはしっかりと定着し、今後は習慣から「慣習」になるのではないか。

 この連載もすでにおよそ1年半にわたって続いている。当初はパンデミックと美術表現の関連について過去を振り返りながら歴史的に辿(たど)り、そのあとは感染の増減に沿ってアートとコロナ禍との推移について、現況を見ながら時評的に書き留めてきた。とはいえ、いつ次の蔓延(まんえん)の波が始まるとも限らないので、ちょっと一息というわけではないが、今回はパンデミックとアートについて少々振り返りつつ書いておきたい。

 連載が始まってまもない頃だったけれども、私は今回のパンデミックによって、ウイルスを媒介する手の持つ意味が大きく変わったということについて書いた。そして、高村光太郎による手の彫刻などを例にとり、今やその不気味さが際立ちつつあるとした。

 けれども、この手の不気味さは、先に触れた通り儀礼化しつつある手指の消毒によって、急激に薄れつつあるように思われる。

 その代わり、アートや美術表現にとって意味を増しつつあるのが、やはりマスクなのだと思う。マスクは顔のかなりの部分を覆うから、なんと言っても人の顔から表情というものを奪う。目元だけで喜怒哀楽を表現する模索もあるようだが、どうしたって限界があるだろう。透明なアクリル板で顔を出したり間を仕切ったり工夫も様々(さまざま)だが、前回も触れたけれども、どこか不自然なのは否めない。リモート技術で顔を出しても、映像はやはり映像を超えるものではない。美術やアートでこうした余波をもっとも受けるのは、おそらく肖像的な表現なのではないか。

 肖像画でも写真によるポートレートでも映像でも、人を描いたり撮ったり登場させたりすれば、必ず顔の存在が問題となる。そんなことは当たり前で、以前ならこんなふうに書くこと自体がおかしなことだったに違いない。逆に言えばそれくらい大きな変化があったことになる。

 もし私たちの日常を反映させるなら、マスクをつけたまま顔を描いたり撮ったりする必要がある。しかし表情を失った顔は表現の力を著しく減退させる。だから多くの場合、様々な感染拡大防止の対策をとったうえでマスクを外し、以前と同じような制作や撮影をするのだろう。しかし手法は同じでも「以前」と「以後」とでは顔の持つ意味が大きく変わっている。マスクをつけない素顔は、家族や親しい知人友人だけに公開される大事な秘匿物となったのだ。

 こうしたことは、一部の宗教では古くから慣行となっていたけれども、パンデミックにそのような「必然」はない。「平常な顔」を失ったアートは、これからどんなふうに顔を「表象」していくのだろう。(椹木野衣)

=(11月4日付西日本新聞朝刊に掲載)=

 

椹木野衣(さわらぎ・のい)
美術評論家、多摩美術大教授。1962年埼玉県生まれ。同志社大卒。著書に「日本・現代・美術」「反アート入門」「後美術論」「震美術論」など。

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