江口寿史展
EGUCHI in ASIA
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福岡アジア美術館
2022/03/14 |
ロシアによるウクライナへの軍事作戦が突如として始まり、世界に先行きの見えない暗雲をもたらしている。今回のパンデミックは20世紀初頭、第1次世界大戦の渦中で世界的な大流行に至った、いわゆるスペイン風邪以来の規模とされるが、現在進行中の戦争は反対にパンデミック下で始まった。このことの意味は大きい。というのも、第1次世界大戦が終結に至った理由のひとつに、スペイン風邪による大幅な戦力減退が挙げられることがあるように、皮肉なことに、パンデミックには戦争を終わらせる側面があったからだ。
実際、2020年にパンデミック宣言がなされて以降、際立った世界的紛争が伝えられることはほとんどなかった。確かに、外出もままならないのに戦争ができるはずがない。仮に想定しても、感染症防止対策を施さなければ作戦に多大な影響を及ぼすだろう。そのせいとは言えないが、昨年の夏にはアメリカの駐留部隊がアフガニスタンから撤収し、20年にわたったアメリカ最長の戦争にピリオドが打たれた。この連載でも当初、パンデミックには戦争抑止の効果があることについて触れたことがある。
ところが、ここに来てこの規模の戦争が起こることになると、いったい誰が予測しただろうか。ウクライナから西側へと脱出する人々の列は止むことがなく、報道で見ていてもマスク姿の人は見かける程度で「密」は避けようがない。感染よりも爆撃の方が怖いのは無理ないことだ。難民が溢れる国境でいちいち体温を測ったり、体調の悪い人を押し戻したり、一人ひとりPCR検査をしている余裕があるはずもない。戦争はかようにすべてをなし崩しにしてしまう。
それにしても、プーチン大統領がなぜ、人類が一致して「ウイルスとの戦い」に邁進(まいしん)している渦中で「隣国との戦争」に踏み切ったのか、様々な説が飛び交っているものの、はっきりしたことはわからない。確かなのは、ウイルスとの戦いよりも、人類による古典的な戦争の方を優先したということだろう。というより、戦争が困難とされるコロナ禍であるからこそ、意表をついた大規模軍事行動に出た可能性も否定できない。確かに、第1次世界大戦の時と違い、革命的に進歩しつつある感染検査やワクチンの接種を繰り返せば、それも不可能なことではない。そうなら、21世紀のパンデミックは戦争を抑止するどころか、別のかたちで推し進める側面さえあるのかもしれない。
新型コロナウイルスによるパンデミックは、冷戦が終わり、ソ連が消滅し、世界が資本主義に覆い尽くされることで幕を切ったグローバリズムの産物とされる。1990年代初頭のことだ。だからこそウイルスとの戦いは、地球(=グローヴ)規模の経済活動や人の移動を抑制し、「世界を遮る」ことで推し進められた。そのことでグローバリズムに依拠するアートも多大な影響を受けた。だからこそ、アート界はコロナが去ったあとの世界のあり方について真剣に議論していたのではなかったか。
だが、今回の戦争で世界はふたたび冷戦期のような相貌を帯び始めている。その様は「ポスト・コロナ」であるどころか、「プレ・グローバリズム」を想起させる。「チェルノブイリ」をはじめとする核施設が占拠され、一部が攻撃を受けることで、別の意味での「核戦争」の恐怖さえ浮上しつつある。人類は「ポスト・コロナ」どころか、決定的に過去へと退行してしまうのだろうか。(椹木野衣)
=(3月10日付西日本新聞朝刊に掲載)=
椹木野衣(さわらぎ・のい)
美術評論家、多摩美術大教授。1962年埼玉県生まれ。同志社大卒。著書に「日本・現代・美術」「反アート入門」「後美術論」「震美術論」など。
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