江口寿史展
EGUCHI in ASIA
2024/11/09(土) 〜 2025/01/12(日)
福岡アジア美術館
2023/01/14 |
年が明けて2023年となった。日本でコロナが顕在化したのは2020年のことだったから、ずいぶん長い時間が経(た)ったものだ。時間というより年月、と言ったほうがいいかもしれない。いろいろなことが思い起こされるが、これが個人的なことかどうかわからないけれども、ひとつ浮かんでくるのは、コロナ以降、まったく風邪をひかなくなったことだ。
それ以前は、ひと冬に必ず何度かは熱や咳(せき)、鼻水などに悩まされたものだが、それがぜんぜんないのだ。風邪だけではない。わたしはたいてい冬には型こそ違えどもインフルエンザに罹患(りかん)していたのだが、それもなくなった。これは驚くに値する変化ではないだろうか。
真っ先に思い当たるのは、マスクの着用、手指の消毒、密を避ける、などだろうが、それでもコロナにかかる人はかかる。わたしの場合、コロナにもなっていないから、いわゆる風邪とはまったく無縁となった。あるいは無症状のまま新型コロナ・ウイルスが体内を過ぎ去っていったのかもしれないが、ワクチンを接種したいま、抗体検査をしてもコロナ前の抗体なのかがわからない。
けれども手放しで喜んではいられない。風邪をひかないということが健康とも言い切れないからだ。もともと人間のからだはある程度異物を取り入れて抗体を自然に形成し、その過程で症状が出るわけなので、症状がまったくないというのは、健全な免疫作用が働く手前で人為的なマスクや消毒液、生活様式の変更などでバリアーを張っているのかもしれず、それを健康というのは少し違う気がする。
わたしは美術評論家なので、ここから話が飛躍するのを許していただきたい。というのも、美術を評論するのに美術史は必須の知識だが、それをひとつの巨大な生体と捉えるならば、既存の美術史を守るためには、やはり一種の免疫に似たシステムが働いているのではないだろうか。言い換えれば、いつまでも代わり映えのしない、先の言葉で言えば「健康」そうに見える美術史は、実は様々なかたちで制度的に守られており、自助的な免疫作用によって保たれているわけではないのかもしれない。もしも免疫が健全に働いているなら、堅牢(けんろう)な美術史と言えども絶え間なく不快な症状が生じているはずで、それがないというのは、やはりあまりよいことではないと思うのだ。
むろん、美術史はつねに新たな発見や実証によって部分的に「症例」を引き起こしている。けれども、一般的には古い時代ほど重篤な症状は起きにくく、近代に近づくにつれ症状は深刻になりやすい。場合によっては、部分的な書き換えが必要な事例も出てくるだろう。だが、本来ならそれが「健康」ということなのかもしれない。
こうした現象は、現代になるほど極限化する。つまり、アートと呼ばれるような領域では、「生体」は絶え間なく外部からの異物による熾烈(しれつ)な侵入に晒(さら)されており、それとどのように対処するかが、実はアートが持つ可能性と考えてよい。言い換えれば、アートの世界では、あまり過度に過去の美術史に準拠しないほうが、目前の生々しい現実に対応できるはずとも言える。コロナ・パンデミックはその最たるものだろう。仮にポスト・コロナなどと呼ばれるアートの様態があるとしたら、それはやはりコロナ以前のアートの「復旧」などとはぜんぜん違うものでなければならない。(椹木野衣)
=(1月12日付西日本新聞朝刊に掲載)=
椹木野衣(さわらぎ・のい)
美術評論家、多摩美術大教授。1962年埼玉県生まれ。同志社大卒。著書に「日本・現代・美術」「反アート入門」「後美術論」「震美術論」など。
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