大分県立美術館 開館5周年記念事業
生誕110年 宇治山哲平にみる「やまとごころ」
2020/10/30(金) 〜 2020/11/29(日)
10:00 〜 19:00
大分県立美術館(OPAM)
2020/11/15 |
画家の宇治山哲平(1910~86)は生涯にわたって何度も画風を変貌させた。漆や蒔絵(まきえ)など工芸の仕事を経て独学で始めた絵は、最終的に円や四角形、三角形が並ぶ連作「やまとごころ」へと至る。絵画の専門教育を受けず、絵に対して自由な思考を持っていたからこその道のりでもあっただろう。工芸で培った技術は、砂の粒などを混ぜてざらつかせた油絵の具を画布に盛る方法に結実し、唯一無二の絵を生み出した。
宇治山は大分県日田市出身。工芸学校を卒業後、日田の漆器会社で、デザインを担当した。1937年からは福岡日日新聞(現西日本新聞)で絵画班に所属。仕事のかたわら版画や絵画の発表を続けた。戦後の「石と卓」(52年)などにはキュビスムの影響もあり、西洋近代絵画に学ぼうとした姿勢もうかがえる。
画風は50年代後半から一変する。隆起した岩や砂丘など年月を重ねた自然の造形に魅せられた作品が生まれる。油絵の具に砂粒を混ぜる手法も獲得。筆よりナイフを多用し、左官のようだったという仕事ぶりは、宇治山の特異な個性として終生光を放った。61年、大分県立芸術短大(現大分県立芸術文化短大)教授となり別府市に移住した。
宇治山は62年、再び変貌する。同年に始めた「絵画シリーズ」以降、画面をさまざまな図形で満たし、定まった像を結ばない想念の世界を、鮮明な色の円や四角形、三角形で表すようになる。その心境について、後に「絵画表現は『色』と『形』の二要素しかないことを悟った」と述懐した。
「絵画シリーズ」は70年代以降、多彩に展開する。霧に包まれた故郷日田の風景や平安絵巻の美から発想した「王朝」では、図形の数は減り、余白が強調される。一方、仏教との出合いがきっかけとなった「華厳(けごん)」は、華やかな色使いと、ひしめき合う図形が曼荼羅(まんだら)を思わせる。この間、71年の毎日芸術賞、73年の西日本文化賞と受賞を重ね、評価を確固たるものにした。
亡くなる前年の85年に着手した「やまとごころ」は、以前の連作を踏襲しつつも新しい。多用してきた絵の調子を引き締める黒い図形があまり見当たらなくなる。全体の印象が柔らかくなり、緊張感が取り除かれた。図形も単純化される。不規則な形は少なく、正円、正方形、正三角形がほとんどで、画面を物静かにする効果を発揮した。
静謐(せいひつ)な「王朝」と、にぎやかな「華厳」の間を往来しながら、理想の均衡状態を見いだした「やまとごころ」は、描いた内容も以前の連作とは異なる。故郷の景色や宗教的な世界観といった具体的な着想源が見当たらないのだ。言葉ではつかみにくい美意識や精神的なものに、明瞭な輪郭と鮮やかな色彩を与えている。
目指す地点に手が届いた作家の安堵(あんど)感が表れたような「やまとごころ」の画面には、几帳面(きちょうめん)に構成されながら見る者を拒む厳しさはない。むしろ図形を目で追わせることで絵の中に引き込んでいく。カンディンスキーやモンドリアンなど西洋の抽象絵画と比べると、同じ色や形の組み合わせでありながら変化を自在に受け入れる緩やかさも際立つ。題名を直訳すれば「日本精神」とも言える「やまとごころ」で宇治山が目指したのは、西洋で創始された近代抽象絵画に対し、日本、東洋発のそれを打ち立てることだったのかもしれない。(諏訪部真)
=(11月12日付西日本新聞朝刊に掲載)=
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