特別展
藤田嗣治と彼が愛した布たち
2020/10/17(土) 〜 2020/12/13(日)
09:30 〜 17:30
福岡市美術館
2020/11/29 |
レオナール・フジタの名でも知られる藤田嗣治(1886~1968)は毀誉褒貶(きよほうへん)の激しい画家だ。1920年代にパリの画壇で一躍脚光を浴びて日本に帰国。第2次世界大戦中は国策に乗じて戦争画を描いた。戦後は「戦争協力者」として批判を浴び、逃げるように国外へ。だが、死後半世紀が過ぎた今も人気は根強い。そんな藤田には自分好みの染織品で身の回りを飾り、衣服を自作する一面もあった。福岡市美術館の特別展はそこに着目し、まだ謎の多い画家の実像に迫っている。
この特別展「藤田嗣治と彼が愛した布たち」は、藤田が関心を寄せ続けた布を通じて、作品への影響や人間像を探る。フランスで藤田が暮らし、現在も保存されている住宅「メゾン=アトリエ・フジタ」が収蔵する染織品、衣服など約50点を借用した。多くは日本初公開。有名な裸婦像なども合わせて約120点を展示する。
布への関心は、画家として名を成す前からだった。フランスに渡っていた1913~14年、最初の妻とみに送った手紙では、世界各地の布を買ったこと、自分で洋服を作ったことをびっしり書き込んで報告し、とみ用に考えた衣装の絵を添えてもいる。
そのこだわりは絵にも表れる。「タピスリーの裸婦」(1923年)では、主役である裸の女性の背景に布が描かれ、折り曲げた後にできるしわまで再現。触れたときの柔らかな質感をも見た者に想像させる。
展示会場では、布の描かれた絵と、実際の布を見比べられる。例えば帰国後の「自画像」(36年)。和室で姿勢を崩す藤田自身の背景には、茶道具の模様を染めた藍色の布が掛けられている。この布はフランスに残された実物から、模様を正確に写し取ったことが分かる。特に気に入っていた布のようで、別の作品にも登場する。
他に、魚市場で着用されたシャツ、漁師の晴れ着である華やかな「万祝(まいわい)」も現存し、それぞれ「魚河岸」(34年)、「夏の漁村(房州太海)」(37年)の絵に登場する。藤田の好みは豪華な品よりも、生活や職業に関連したものに向いていたようだ。
メゾン=アトリエ・フジタ収蔵の布製品の中には、藤田自作のものもある。手袋や帽子といった小物類だけでなく、自ら着用するシャツまで手掛けた。戦後に日本を去り、フランスで暮らす中で作ったとみられる「格子縞文様型染ジップアップシャツ」は、ブルターニュ地方の漁師の作業着を模した。福岡市美術館の岩永悦子学芸課長によれば、同じ布地の端切れが日本の反物の幅で残り、藤田が日本から持ち込んだ布で現地風の衣装を作ったことが分かるという。
工芸品を好んだことでも知られる藤田が衣服を自分で作り、気に入った布製品を飾ることにこだわった背景には、日々の生活を美しく彩りたいという願望があったのか。
だが、ぜいたくを求めたわけではないだろう。1800年代後半に英国で起こった「アーツ・アンド・クラフツ運動」は近代化に伴う大量生産品に対し、中世に回帰して手仕事の美に価値を見いだすことを提唱した。同時に、生活の中に芸術を息づかせ両者を一体にしたいと願った。20代だった1913年、妻に宛てて<金で買える様なものハ大嫌いになつた>と書き送った藤田にも、穏やかな理想郷への憧れがあったのかもしれない。
戦争画の制作も、芸術と生活の統合を強く意識するあまり、国や社会から求められるままにのめり込んだという解釈もできる。日本を追われたフランスで建築から壁画まで手掛けた礼拝堂もまたその延長だろう。自らの腕を頼りに、美で満たされた理想の世界を思い描いた藤田。布に焦点を当てた今回の展示からは、改めて計り知れない人物像が浮かび上がってくる。(諏訪部真)
=(11月24日付西日本新聞朝刊に掲載)=
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