特別展「室町将軍 ―戦乱と美の足利十五代―」
2019/07/13(土) 〜 2019/09/01(日)
09:30 〜 17:00
九州国立博物館
2019/08/09 |
この像たちが、幕末の志士らの乱行に「何の恨みあってじゃ」と、びっくり目をむいたかと思うと、気分は時を超える。九州国立博物館で開催中の特別展「室町将軍 戦乱と美の足利十五代」で展示されている初代足利尊氏、2代義詮、3代義満の将軍像3体のことである。
いつもは子孫の像とともに足利家の菩提(ぼだい)寺・等持院(京都市)に安置されているが、幕末の1863(文久3)年、突然、刀を抜いた男たちが僧を脅して、なだれ込んできた。像から首を奪い取り、天子に歯向かう「逆賊」として三条河原にさらしたのだ。世にいう「足利三代木像梟首(きょうしゅ)事件」である。
明治になり、維新の功労者らが幕末の記憶を語った「史談会速記録」などに、この珍事件の顚末(てんまつ)が出てくる。
今の暦でいえば4月9日、平田篤胤(あつたね)の国学を学ぶ尊皇攘夷(じょうい)の志士たちが、等持院にやって来た。ところが寺の僧から拝観料を求められて「逆賊の足利尊氏の像を見るのにさい銭など出せるか」と立腹。いったんは立ち去ったものの、仲間内で話すうちに、像に天誅(てんちゅう)を加えて首をさらす話にエスカレートし、計9人が等持院に乱入したのだった。
なるほど、足利尊氏は「建武の新政」の後に後醍醐天皇とたもとを分かってはいるが、幕末の天皇家は足利将軍家が支えた北朝の系統で、逆賊と言い切るのには少々無理がある。そしてこの時、京都の治安を担っていた会津藩にすれば、昔の征夷大将軍とはいえ、その首を切る行為は徳川幕府への当て付けだった。
一味には追っ手が掛かり、抵抗して死んだ者1人、ほかは捕縛されたり、長州藩の助けで逃れたりと、京都から一掃された。会津藩はこの事件を契機に、治安を乱す志士を取り締まるため、後の新選組を発足させることになる。子供じみた動機で起きた珍事件は歴史に大きな波紋を広げたわけだ。
一方、奪われた将軍像の首は等持院に戻され、丁寧に修理されて今に至っている。
実はこの等持院は、私が40年前に歴史を学んだ大学の南隣にある。寺の庭園は昔からその美しさで知られ、大学が建つ前は北にある衣笠山を景色に取り込む「借景」の効果が素晴らしかったという。
それが大学のビルに視界をふさがれた。将軍像を見に何度も通った私は、お坊さんから「あんたに言うても仕方おへんが、迷惑、迷惑」と言われたものだ。そこで嫌みのように重ねて聞かされたのが、この梟首事件の災難。特別展で将軍像を拝み、久々に恐縮した。(上別府 保慶)=8月1日 西日本新聞朝刊に掲載=
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