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やっぱり弱かった!? 実は意外と強かった!? 室町将軍たちの真実に迫る!【レポート】

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秋吉真由美
2019/08/30
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九州国立博物館(福岡県太宰府市)で開催中の特別展「室町将軍 戦乱と美の足利十五代」。同展の開催を記念して8月3日、ベストセラー『応仁の乱』の著者で国際日本文化研究センター助教の呉座勇一さんによる講演会「室町将軍の再評価-本当に弱かったのか?-」が行われました。室町将軍は、やっぱり弱かった!? 実は意外と強かった!? 果たして真相は…!? 新発見が続々の講演会レポートをお届けします。

 

会場はほぼ満員! 本展への期待の高さが伺えます 

 

「室町時代は、NHK大河ドラマの題材になることも少なく、初代将軍の足利尊氏を主人公にした『太平記』、応仁の乱を描いた『花の乱』くらいで、非常にマイナーな時代。皆さんにとってはあまり馴染みのない時代だと思います」と呉座さん。「そんな中、“室町将軍”と題して、15代を紹介する展覧会は前代未聞。私は室町時代が専門なので非常にうれしいです。これを機に室町時代に興味を持っていただければ」と本題へ。

 

室町時代が専門の呉座勇一さんが分かりやすく説明してくれます

 

「やはり、室町将軍は“弱い”というイメージでしょうか。盤石な武家政権の江戸幕府、承久の乱など戦のイメージが強い鎌倉幕府。それに比べて室町幕府はなんとなく弱く感じますね。金閣寺を作った3代将軍・義満は例外として、将軍が守護大名の力を抑えられていないイメージでしょうか」

司馬遼太郎の小説「箱根の坂」には「国王(=将軍)というには、所領がすくなすぎた」「初代将軍・尊氏は気前が良く、家来に土地を分け与えていた」という、室町将軍が弱小政権であることを示す記述があるといいます。「所領が少ないのは事実。江戸幕府の直轄領と比べると非常に少ない。尊氏は気前もよかったのですが、家来が当時の敵である南朝側につくのを懸念して…という側面もあります。また、将軍直属の親衛隊も数千⼈程度で少ないといわれています」

講演会冒頭から「弱い弱い」と言われ続けている室町将軍たち。ちょっと切ない…。「弱体イメージの背景には、京都に幕府を置いたため、京都の公家と交流が深かった点、⾜利将軍の“公家化”があります。その文化交流が垣間見えるのが本展ですね」と続けます。

「その公家化こそ、室町幕府は“弱い”というイメージを作っていますが、公家化は幕府が朝廷と一体化したからなんです。義満以降は、朝廷の権力を吸収していきます。朝廷の管轄下には手を出せなかった鎌倉幕府より、政権として成熟しているとも取れます」

 

■常に敵がいる室町幕府

室町将軍15代を分かりやすく3期に分けると、
前期:初代足利尊氏~3代足利義満
中期:4代足利義持(よしもち)~9代足利義尚(よしひさ)
後期:10代足利義稙(よしたね)~15代足利義昭(よしあき)

「室町幕府の大きな特徴として、全時期に常に敵がいるということ。鎌倉幕府や江戸幕府との大きな違いはそこ。無敵状態の江戸や鎌倉とは違うんです。その点が室町幕府の弱いイメージを作り出しているのも大きいです」

前期は“VS南朝”、中期は“VS鎌倉府(京都に拠点を置く室町幕府が鎌倉に設けた出先機関)”、同時に2人の将軍がいる状態であった後期は“VSもう一人の将軍”。「こうして常に敵がいる状態ですが、共通の敵がいる時は、仲間割れしている場合ではない。大名たちは将軍に従い、一致団結できる利点もあったんです」と呉座さん。「敵がいることによって将軍の求心力が高まったとも考えられます。弱い弱いと言われてきましたが、必ずしもそうではない、意外と強いのでは…と近年の研究で分かってきました」

例えば、4代将軍義持(よしもち)。義持が危篤に陥った際、大名たちは後継将軍の指名を求めますが、義持は遺言が守られないことを心配して大名たちの話し合いで決めるよう命じたと言われています。「自分で後継者を決められないという事実が、“弱い将軍”のイメージを作ってきたんですね」。義持は、後継将軍をクジで決める案に同意します。「現在では、クジ=いい加減のような印象ですが、当時は“クジ=神様が決める事”と言われていました。また、息子や親族に継がせる世襲ではなく、“徳のある人が将軍になるべき”という考えを持っていたとの指摘もあります」

四代将軍 足利義持


 

 

■実は、政治欲ありすぎ!?

次の例は8代将軍義政。歴史学者の永島福太郎氏にも「女房の尻にしかれ、そのうっぷんを酒で紛らわし、政治なんか忘れた落第生」と散々の言われよう。義政は、兄・義勝の急死を受けて14歳で元服し、征夷大将軍に就任します。14歳という年齢のため、管領が政治を主導しますが、20歳を過ぎたころから自ら政治を始めます。側近の伊勢貞親を抜擢するなど、若いなりに行動を起こします。

「義政は政治欲がない⽂化⼈と⾔われてきましたが、現在では否定されています。義政には息⼦がいなかったので、義視を次期将軍候補として養⼦にします。後花園天皇から後⼟御⾨天皇への代替わりに合わせて将軍職を譲り、隠居する意向を⾒せますが、貞親を通じて独裁政治を⽬指してきた⼈が急に政治権⼒を⼿放すでしょうか。義満や後の徳川家康のような大御所政治を構想していたという新解釈が出てきています。その後義政には、応仁の乱のきっかけとも⾔われている、息⼦・義尚が⽣まれますが、義政は将軍職を義尚に譲っても政治に⼝出ししました。決して、やる気がなかった将軍ではないんです」

 

■暗殺されるほどの存在となった将軍も

次の例は、名刀「大般若長光」を操る剣豪将軍、13代義輝(よしてる)。「暗殺された将軍として有名ですが、幕府の力を取り戻すため、全国の戦国⼤名と積極的に交流を行いました。「輝」という字を伊達輝宗、上杉輝⻁(謙信)などの諸⼤名に与えたり、武田・上杉など大名間の争いを調停したりしました。⼤名側に利用された側⾯もありますが、大名たちの希望に応えることで上手く取り込んだとも言えます。義輝に高い権威があったことを評価すべきです」

国王《太刀 銘 長光(名物大般若長光)》 鎌倉時代 13世紀 東京国立博物館



「義輝は信⻑の前に近畿地⽅を制圧した三好⻑慶に支えられていましたが、次第に関係が悪化、長慶の死後、家督を継いだ義継らによって殺害されます。将軍があっけなく殺されてしまうのは、弱いと言えば弱いですが、暗殺という非常手段に踏み切らせるほど三好氏を追い詰めた将軍であるということです」

などなど、呉座さんが語る室町将軍たちの実は弱くない!? エピソードは興味深いものばかり。「これらの話から、皆さんが思っていたよりも足利将軍たちは強かったと思われます」と締めた呉座さん。これらの室町将軍たちの深い個性を知った上で改めて展示を見ると、さらに理解が深まりそうです。

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