江口寿史展
EGUCHI in ASIA
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福岡アジア美術館
2023/03/31 |
去る13日から、国の方針で屋内と屋外とを問わず、新型コロナ感染拡大防止のためのマスク着用は個人の判断に委ねられることとなった。もっとも、今の時点で街の様子を見ていると、マスクを外している人は数えるくらいで、以前とさしたる違いは見られない。4月から学校が一斉に新学期を迎えるタイミングで、マスクをしない新しい習慣(新しい生活様式?)が目立つようになれば、社会全体でも少しずつマスクを外す人が増えていくことも予想される。少なくとも今後、マスクを着用する人は減りこそすれども、増えることはないだろう。
あらためて思うのは、3年に及んだマスク生活の「風景」というものが、私たちの無意識にどれほど定着したのだろうか、ということだ。そんなことを言うのは最近、はたと気づいたことなのだが、夢のなかでマスクをしている人を見たことがないように思うのだ。もしかしたらこれはわたしだけのことかもしれない。だから、どれくらい一般化して考えてよいのかもわからない。けれども、コロナ禍となってからの夢の記憶(という言い方もなにか変な気がするが)を掘り起こしてみても、マスクをした人の顔というのがどうしても思い出せないのだ。
もしそうなら、あれだけマスクの着用に細かく気を使っていた期間が長く続いたにもかかわらず、夢のように無意識の奥底に沈んだ原風景のなかでは、意外なくらいマスク姿というのは定着していないのではないか――そんなふうに感じたのだ。もちろん、夢に出てくる人はコロナ前に知り合ったばかりではないはずだし、ぜんぜん見知らぬ人が出てくる可能性だってある。でも、それにしてもなおマスクをしている人に夢で出会うことがないのは、どういうことだ。
いったい、(少なくともわたしの)夢のなかでは、マスクをしている顔の認識を避ける作用でも存在しているのだろうか。仮にそうだとして、わたしはマスクをしている人の顔をどこかで避けたいと思っているのだろうか。それとも、顔という認識もしくは記憶は、夢のなかでは眼の周辺だけではうまく成り立たないような代物なのだろうか。
はっきりしたことはわからない。思い当たるのは、ちょうどいまから100年ほど前の20世紀初頭に開花した一大芸術運動であったシュルレアリスムが、夢という「無菌空間」から多大なインスピレーションを受けていたことである。同時にそれがスペイン風邪という死にいたるパンデミックからの逃避的な性質を持っていたのではないか、ということを考えたらどうだろう。長いコロナ禍にもかかわらず、シュルレアリスムの生み出す景色に、一見してはスペイン風邪の影響が見られなかったのと同じように、コロナ禍が終焉(しゅうえん)したかに見えるこの春以降に生み出される「ポスト・コロナ」のアートにも、コロナ禍を経過したと思われる具体的なイメージ(その典型がマスクだ)は含まれることがないように見える。
そうしてわたしたちは、ポスト・コロナのアートが、ポスト・コロナ禍でこそ生み出されたことを忘れていくのだろう。かつての「ポスト・スペイン風邪のアート」が、他でもないスペイン風邪禍によって生み出されたことを、巨大なパンデミックがふたたび人類全体を襲うまで、誰もが長く忘れてしまっていたように。(椹木野衣)
=(3月28日付西日本新聞朝刊に掲載)=
椹木野衣(さわらぎ・のい)
美術評論家、多摩美術大教授。1962年埼玉県生まれ。同志社大卒。著書に「日本・現代・美術」「反アート入門」「後美術論」「震美術論」など。
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