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遮られる世界 パンデミックとアート 椹木野衣<5>スペイン風邪の影 現代アートの源流は 「ひきこもり」芸術?【連載】

2020/04/13 LINE はてなブックマーク facebook Twitter
英国の詩人、評論家のT・S・エリオット

 英国の詩人、T・S・エリオットの代表作『荒地』の書き出しは、「四月はもっとも残酷な月だ」と始まる。春の訪れを告げる4月が「もっとも残酷(cruellest)」とは、どういうことなのか。一般にこれは、第1次世界大戦(1914~18年)の荒廃を背景に書かれたとされる。だが、詩集が発表されたのは22年の冬なので、やや間が空く。そこに第1次世界大戦だけでなく、同時期に人類が初めて直面したインフルエンザ・ウイルスによるパンデミック、いわゆるスペイン風邪(1918~20年)が影を落としていないか。著名な画家では、世紀末ウィーンを代表するグスタフ・クリムトやエゴン・シーレが犠牲となった。エリオットと同じ詩人で美術評論も手がけたギョーム・アポリネールも命を落としている。

 エリオットの『荒地』は第1章が「死者の埋葬」と題されているが、新型コロナ・ウイルスによる欧州を中心とした現在の悲惨な状況を見ていると、戦争だけでなくパンデミックを歌った詩ではなかったかと思えてくる。新型コロナ・ウイルスが高齢者で重篤(じゅうとく)化する傾向があるのとは違って、スペイン風邪は、戦場へと勇猛に向かった比較的若い年齢層を中心に命を多く奪った。国同士を単位に血を流して争っているうちに、人類はウイルスという遥(はる)かに大きな敵を見逃していた。戦争を終えて生命の息吹に満ちたはずの春になっても、大地は依然として「荒地」のままで、「死者の埋葬」は各地でひきもきらない。四月が一年のうちで「もっとも残酷な月」になっても、なんの不思議もない。

 そう考えたとき、20世紀の初頭に起こり、その後の現代美術に決定的な影響を与え、現在のアートにとっても依然、極めて大きな源流となっている前衛美術の動向、具体的にはダダイズムやシュルレアリスム、アブストラクト・アートといった動きにも、スペイン風邪の余波が感じ取れはしないか。

 マルセル・デュシャンやフランシス・ピカビアの名で知られるダダイズムは、近代国家が陥った世界大戦という破壊の極みを目の当たりにし、従来の美的な価値観を根底から破壊する行動に出た。だが、やがてスペイン風邪のパンデミックが迫ると、彼らの内面に、戦場とはまったく異なる「荒地」が急激に広がった可能性がないとは言えない。

 少し遅れて登場した具象芸術のシュルレアリスムと、具象を排して抽象的な造形へと特化したアブストラクト・アートとの間には、一見して大きな隔たりがあるかもしれない。けれども、シュルレアリスムが精神分析の父、フロイトにならって夢や無意識といった未知の世界に活路を見出したのは、理性では直視することができないパンデミックという現実(悪夢)からの逃避であったかもしれない。現実の世界には存在しない抽象的な造形を扱うアブストラクト・アートにしても、その点では同様ではないか。

 第1次世界大戦とスペイン風邪によるパンデミックのあとで、先進的な美術家たちが一斉に生み出した新しいアートの動きは、このように、一種の集団的な「ひきこもり」芸術であったことがわかってくる。いま新型コロナ・ウイルスの蔓延(まんえん)を避け、家に引きこもる生活を余儀なくされるなか、そこから新しい内面と、それにもとづく芸術が生まれてこないとは誰にも言えない。(椹木野衣)=4月8日付西日本新聞朝刊に掲載=

 

椹木野衣(さわらぎ・のい)
美術評論家、多摩美術大教授。1962年埼玉県生まれ。同志社大卒。著書に「日本・現代・美術」「反アート入門」「後美術論」「震美術論」など。

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