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ゴッホ展 ヘレーネとフィンセント<下>ヒマワリから糸杉へ なぜ

2022/01/19 LINE はてなブックマーク facebook Twitter

 激情の画家フィンセント・ファン・ゴッホ(1853~90)の画業をたどる「ゴッホ展ーー響きあう魂 ヘレーネとフィンセント」が23日、福岡市中央区大濠公園の市美術館で開幕した。作品収集を通じてゴッホの名を世に知らしめたヘレーネ・クレラー=ミュラー(1869~1939)のコレクションなどゴッホ作品52点が並ぶ。展示作品の一部とゆかりの人、場所を紹介する。

◎ゴッホ展 ヘレーネとフィンセント<上>はコチラ
◎ゴッホ展 ヘレーネとフィンセント<中>はコチラ


■「ゴッホ展ーー響きあう魂 ヘレーネとフィンセント」のチケットのご購入は
コチラから。

 

 ゴッホのわずか10年の画業をたどると、いくつもの「なぜ」が浮かぶ。なぜ2千点も作品を描けたのか。なぜ画家の共同体を目指したのか。なぜ大量の手紙を書いたのか。なぜ―。私は2011年の「ゴッホ展」に合わせた連載で、この不世出の画家の謎を追った。あれから11年。福岡市美術館で開催中のゴッホ展で糸杉を主題にした大作「夜のプロヴァンスの田舎道」を前にして、再び一つの疑問が湧いた。久しぶりに考えてみたいと思う。

ゴッホ最晩年の作品「夜のプロヴァンスの田舎道」は、
多くの謎をはらみながら今なお人々の心を引きつける
=昨年12月、福岡市美術館

 なぜゴッホはヒマワリから糸杉に目を向けたのか?

 「目の前にあったからでは。元々、対象をよく観察して描く画家ですから」
昨年、ゴッホ展を開いた東京都美術館の大橋菜都子学芸員の見立ては極めて簡潔だった。

 ゴッホが糸杉を主題にしたのは、亡くなる前年の1889年。南フランスの町アルルで精神を患い、25キロ北東に位置するサン・レミの療養院に入院した時期に当たる。発作の恐怖におびえながら「発見」したモチーフが糸杉だった。

 弟のテオに宛てた手紙には「いつも糸杉に心ひかれている」と記した。線の美しさや緑の質に魅了され、「ヒマワリを扱ったように描いてみたい」と意欲も述べている。

 大橋さんはこんな見解も示してくれた。「色彩の力を追求するゴッホは、アルルにいたときよりも、落ち着いた色彩の表現に興味を高めていったのではないでしょうか」

 ヒマワリは病を発症する前のアルル時代に取り組んだ主題であり、ゴッホの代名詞でもある。画家の共同体をつくりたいゴッホに呼応したゴーギャンの到着を待ちながら、共同生活の場となる「黄色い家」を飾るために精力的に描いた。

「黄色い家(通り)」 1888年9月、ファン・ゴッホ美術館
(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)
©Van Gogh Museum,Amsterdam
(Vincent van Gogh Foundation)

 ヒマワリでは黄色とオレンジの明るく鮮やかな色調を試みた。対して糸杉で探求したのは暗い緑の色調の表現だった。南フランス時代の集大成と称される「夜のプロヴァンスの田舎道」は、暗さの中に豊かな色調と色彩効果が目を引く。

 説得力はある。ただ他の説も考えてみたい。現地での体験を思い出してみる。

 南フランスの暖かな日差しとは対照的に吹きつける風は手荒い。人や草木、大地に立つすべてを激しく揺さぶっていく。

 2010年晩秋。私はサン・レミで、ゴッホが入院した療養院を訪ねる途にいた。予言者ノストラダムスの故郷でもあるこの地は風の存在感が目立つ。アルプス山脈から地中海に向かって吹く地方風は「ミストラル」と呼ばれる。

天を突くように伸びた糸杉が人々の営みを見守るように大地に根を張っていた
=2010年10月、南仏サン・レミ(撮影・岡部拓也)

 天を突くように伸びた糸杉がミストラルになびいてうごめき、雲が渦巻くように流れている。そんな光景に歌舞伎の「連獅子」の毛振りを連想した。ゴッホが南フランス時代に描いた作品に現れた「うねり」は想像の産物などではなく、実際に体感した風を描いたと思えてならなかった。

 芸術家はありきたりの表現に筆を任せない。宮沢賢治は風を「どっどど どどうど どどうど どどう」と独特の擬音で描写した。ゴッホも自然と交感する才を持つ画家だ。南フランス特有の地方風と風の勢いを可視化できる糸杉に魅せられ、独自の表現を用いたと考えられるのではないか。

 ゴッホが入院した療養院で話を聞いたジャンマルク・ブロン医師の言葉を思い出す。

 「ミストラルは木だけでなく全てを動かすんだ。印象派は水の中の光の変化を描いたけど、ゴッホは糸杉を動かす風の変化を描いたんじゃないかな」

 謎を考えるに当たり、近代芸術思想史家の木下長宏さんを11年ぶりに訪ねた。前回はゴッホが自画像を40枚も描いた謎のヒントをもらった。「今回は糸杉のことで」と切り出すと、予想していない返答がきた。

 「ゴッホがアルルで病にかかり、入院したことに注目すべきです」

 糸杉は墓地に植えられることが多く、西洋では死の象徴とされる。アルル時代には明るく輝く「生命の花」に向けたまなざしを、病に侵されて失意のうちに移ったサン・レミで死を象徴する木に向けたということだろうか。

 木下さんは首を横に振って言葉を重ねた。

 「自分は絵を通して貧しい人を『救う立場』だと自負していたゴッホが、入院して『救われる立場』に一転した。これは大きな挫折であり、生きる上で転換点になったはずなんです」

 牧師を目指しながらも挫折したゴッホは27歳で画家を志し、絵を通して神の言葉を伝えることを使命とした。作品に宗教的な思想が込められた。繰り返し描いたのが教会の尖塔(せんとう)だった。

 「それがサン・レミ以降に画面から消え、代わりに糸杉が現れた。ヒマワリの代わりというより、教会の代わりだ」

 病気を契機に絵で人を救うという「荷」を下ろし、思想よりも絵画の成熟に向き合うゴッホ。大地に根を張り、人々に寄り添う糸杉に尖塔に代わる祈りのかたちを見いだし、自身の病気回復への祈りをも込めたというわけか。

 「夜のプロヴァンスの田舎道」は、ゴッホが自らの死期が近いと自覚していることが反映されているとする意見もある。だが、それまでの生き方に読点を打ち、画家として生き直しを図る決意の1枚に見える。

 そう思わせる作品が展覧会場にあった。「花咲くマロニエの木」と題したサン・レミから移ったパリ近郊の小さな村オーベール・シュル・オワーズで最初に手掛けた作品の一つだ。

 死の約2カ月前に描かれたキャンバスからは、サン・レミ時代とはまるで異なる筆の動きが見て取れる。そこには喧伝(けんでん)されるような「狂気」の仕業による表現はどこにも見当たらない。むしろ変化と挑戦を試みる筆の跡には、冷静に独自の表現を実らせようと絵筆を握る画家の熱を帯びた姿が浮かび上がってくる。(佐々木直樹)

=(1月15日付西日本新聞朝刊に掲載)=

 

▼「ゴッホ展―― 響きあう魂 ヘレーネとフィンセント」
 2月13日まで、福岡市中央区の市美術館。オランダのクレラー=ミュラー美術館、ファン・ゴッホ美術館の収蔵品から、ゴッホの油彩画、素描など計52点のほか、ミレー、ルノワールなどの作品も紹介する。主催は福岡市美術館、西日本新聞社、RKB毎日放送。特別協賛はサイバーエージェント。協賛は大和ハウス工業、西部ガス、YKK AP、NISSHA。観覧料は一般2千円、高大生1300円、小中生800円。月曜休館。問い合わせは西日本新聞イベントサービス=092(711)5491(平日午前9時半~午後5時半)。

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