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国宝 鳥獣戯画と愛らしき日本の美術 いとしさの源流<上>スター絵巻は謎だらけ【コラム】

2022/08/31 LINE はてなブックマーク facebook Twitter

 バスは市街地を抜け、山あいの曲がりくねった道を行く。出発時に満員だった車内の乗客は2、3人になった。JR京都駅から1時間弱で高山寺に到着。鳥獣戯画の呼び名で親しまれる国宝の絵巻「鳥獣人物戯画」を守り伝えてきた寺だ。


 高山寺は鎌倉時代初期の1206年、後鳥羽上皇よりこの地を与えられた明恵(1173~1232)が実質的に創建した。訪れたのは7月末。紅葉の季節に見物客でにぎわう境内は静けさに包まれ、青葉が目にまぶしかった。

 鳥獣戯画は日本美術史上最も有名な、スター級の作品の一つと言えるだろう。甲、乙、丙、丁の4巻から成る絵巻で、兎や蛙、猿などの動物が水遊びや相撲、弓の競技に興じる場面が知られている。特に甲巻に登場する兎や蛙は、人間のようなしぐさで表情も豊か。見る人を無条件に楽しませる。

 制作時期は平安時代後期から鎌倉時代とされるが、いつから、なぜ高山寺にあるのか、詳しくは分かっていない。500年ほど前の寺の記録にそれらしき品の名前が見えるため、その頃にはあったと思われるが、それ以前の消息は明らかではない。

 ふと気付けば、寺を包む木立を風が揺らしている。かすかに鳥の声も聞こえてくる。京都市街の騒々しさから離れ、移ろう自然とともにあるこの寺だからこそ、唯一無二の絵巻は大切に守られてきたのだと思えた。

豊かな緑に囲まれた高山寺の「石水院」。明恵時代の遺構だ

 伝来のいきさつ以外にも、鳥獣戯画は多くの謎に包まれている。

 最大の謎は、誰が描いたか。これを巡っては大きく二つの説がある。一つは、宮廷に仕えて絵を仕事にした「宮廷絵師」説。もう一つが、寺院に所属して仏教にまつわる絵画を専門とした「絵仏師」説だ。

 宮廷絵師説は、鳥獣戯画と同時代に宮廷絵師が描いたとされる他の絵巻と同様の絵柄があることを根拠とする。一方、絵仏師説は、いろいろな仏や動物を墨だけで写した画像集と共通性がある点に着目する。

 議論が続く問題に一石を投じたのが、2009年から4年がかりで行われた絵巻の修理の際、新たに得られた知見だ。

 例えば紙については、表面をたたいて平らにする加工がされていないことが確認された。鳥獣戯画に詳しい京都国立博物館の井並林太郎研究員によると、こうした加工は墨のにじみを防ぐ「打ち紙」と呼ばれ、他の絵巻物では施されている。つまり鳥獣戯画に使われた紙は、絵に適した紙ではなかった、ということだ。

 これらの新発見も踏まえて絵仏師説をとる井並研究員は「仕事を受けて絵を描く宮廷絵師だったら、上質な紙に描くはず。下描きと考えるには出来栄えが良過ぎる。少なくとも、お金をもらって貴族に納めるような品ではなかっただろう」と分析する。その上で「寺院で絵仏師が手近な紙にさっと描いて遊んだような姿も想像していいのではないか」とも考えている。

国宝「鳥獣人物戯画 甲巻」の一場面。右から眺めていくと先に矢が目に入り、
その後に矢を放った主に目が行く。的の横には尾に火をともした狐の姿もある
(京都・高山寺蔵、画像提供:東京国立博物館 Image:TNM Image Archives)


 もう一つの謎は、この絵巻のテーマだ。

 ただ楽しいだけの絵なのか、それとも何かを意味しているのか。「年中行事を描いた」「子ども向け絵本」「人間社会の風刺」など、これまでにも多くの考え方が示されてきた。北九州市立大の五月女晴恵教授(日本美術史)もテーマの解明に取り組み、各種の説を発表してきた。

 まずは「神の使者」説。五月女教授によると、狐や猫も登場する甲巻の中で、各場面の主役は兎、猿、蛙に絞られる。そしてこの3種の動物は神の使者とみなされることが多い。神聖な動物が遊ぶ様は吉祥性を示す。幸運を呼ぶ、縁起がいい品だったのだろうか。

 次に「月夜の情景」説。兎と蛙が弓で遊ぶ場面では、狐が自らの尻尾に火をともして的を照らすような描写があり、暗い夜であることを示しているという。月夜を連想させるススキなど秋草も多く描かれている。

 「絵巻に盛り込まれた情報には、昔なら誰にでも理解されたが、今となっては一般的ではないものもある。それらを明らかにすることで、全体を貫くテーマを見つけられるかもしれない」。そう語る五月女教授は、これからも鳥獣戯画の謎と向き合い続ける。

 鳥獣戯画に引きつけられるのは美術の研究者だけではない。ノーベル賞を受賞した物理学者、朝永振一郎も、この絵巻の熱烈なファンだった。原寸大の複製品を座敷に広げては来客に自慢していたという。

 その人気は現代もなお根強い。展覧会に出品されれば多くの客を集める。動物たちをあしらったグッズもよく売れる。

 この引力の源泉は何だろうか。動物の愛らしさはもちろんある。現代風に「ゆるい」「かわいい」とも言えるだろう。それらに加えて見逃せないのは、作者の高度な絵の技術だ。

 絵巻は普通、右から左に物語が進む。鳥獣戯画の場合、弓で遊ぶ場面でその法則が無視される。まず的に飛んでくる矢が目に入り、先に進むと誰が矢を放ったのか分かる。時間の流れを逆にし、鑑賞者を飽きさせないための工夫だ。

 こうした場面展開のうまさは、作者像を巡る問題にも関わってくる。宮廷絵師説を推す五月女教授は「巻物の形式に描き慣れているように見える。仏画が専門の絵仏師にそこまでこなせただろうか」と、主張の根拠の一つとしている。

 作者やテーマの議論には終わりが見えない。だが、この絵巻が確かな描写力と構成力で制作されたからこそ、見る者に何かを訴え、800年にもわたって受け継がれてきたとは言えそうだ。

 あまたあるその謎にも思いをはせ、心ゆくまで眺めたい。 (諏訪部真)

=(8月27日付西日本新聞朝刊に掲載)=

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