西日本新聞創刊140周年記念特別展
新・桃山展-大航海時代の日本美術
2017/10/14(土) 〜 2017/11/26(日)
09:30 〜 17:00
九州国立博物館
アルトネ編集部 2017/10/16 |
九州国立博物館で11月26日まで開催中の「新・桃山展-大航海時代の日本美術」では、室町時代の鉄砲伝来から江戸時代の「鎖国」までの文化交流史を美術品とともに紹介しています。西日本新聞の記者が海外・国内を取材し、美術品が辿った軌跡を全3回でお届けします。(アルトネ編集部)
1582年、「天正遣欧使節」として知られる4人の貴公子が長崎から欧州へと旅立った。2年半の航海の後、ポルトガルの首都リスボンに到着した彼らは行く先々で大歓迎を受ける。
スペイン国境に近いエボラもその一つ。世界遺産の旧市街に位置する大聖堂では司教による歓迎のミサが行われ、そのとき伊東マンショと千々石ミゲルが演奏したと伝えられるパイプオルガンが今も残っている。
「日本布教の先鞭(せんべん)を付けたのはイエズス会の宣教師たち。彼らは自分たちの地位をさらに強固にしたいと考えて4人をここまで連れてきた。あんな使節団は他の国から来なかった」
そう語るのは地元エボラ大学でイエズス会の歴史を研究するマリア・マンソ准教授。交易圏の拡大というポルトガルの国家戦略もさることながら、ルターの宗教改革後、欧州で勢力を伸ばすプロテスタントに対し、カトリックのイエズス会が抱いた焦燥感を使節派遣の背景に挙げる。
「宣教師たちにとって欧州の彼方に“発見”された『新世界』は、教えを広げることで自らの救済にもつながる新天地。だから、危険も顧みず果敢に乗り出していったわけです」
大航海時代の東西交流を象徴する美術品の一つに「ビオンボ」がある。日本語由来でポルトガル語やスペイン語で「屏風(びょうぶ)」を意味する。
安土桃山時代から江戸時代にかけて豪華絢爛(けんらん)な日本の屏風は海外にも輸出された。織田信長が狩野永徳に描かせた「安土城図屏風」は天正遣欧使節に託され、ローマ法王グレゴリオ13世に献上されるなど人気の特産品だったという。
日本から輸出された当時の現物は失われてしまったと考えられているが、日本美術の要素を取り込んだビオンボは今も欧州や中米に残っている。
メキシコのソウマヤ美術館が所蔵する「大洪水図屏風」はその典型。日本の屏風を見慣れた目には異様だが、主題は旧約聖書に出てくる「ノアの箱船」。唐獅子のモチーフや金雲が桃山美術を想起させ、周囲の装飾帯や蝶番(ちょうつがい)も日本風を意識した作りになっている。
リスボンにある東方基金オリエント美術館。展示室に陳列されている「キリスト教説話図屏風」はさらに珍妙な、国籍不明の屏風である。絵は聖書の話を題材にして一見洋風だが、西洋楽器を演奏する楽士がいるかと思えば、部屋の窓はどこか東洋風。木製フレームには龍や麒麟(きりん)など中国の霊獣の装飾がにぎやかだ。
「人物の目の描き方一つとっても西洋風ではないし、子どもの足元に集う羊も小さすぎる。西洋の技法を学んだことがない人が、西洋の図像を中国風に翻案して見よう見まねで描いたのでしょう」。現地の学芸員が解説する。
この屏風を調査した九州国立博物館の鷲頭桂主任研究員によると、制作地はポルトガルの極東進出の拠点だったマカオが有力視されるという。原画は1584年ごろ、現在のベルギーのアントワープで制作された銅版画と考えられる。明時代の中国にその銅版画をもたらしたのもイエズス会の宣教師だった。
日本ではまだあまり知られていないが、ビオンボはマカオやメキシコなどポルトガル、スペインの植民地を中心に制作され続け、日本の屏風から大きく離れた姿形へと変容していく。
ビオンボの魅力とは。「東アジアと欧州の絵画的伝統が混在するハイブリッドなところ」。鷲頭さんはそう語る。国家間の政治的野望も絡んだ宗教進出の影で、それは宣教師たちの熱意が生んだ意外な産物だった。(神屋由紀子)=10月13日西日本新聞朝刊に掲載=
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