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鉄砲伝来が日本の美術を変えた!? 桃山文化の新しい魅力に迫る【レポート】

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アルトネ編集部
2017/11/07
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世界一周の航路が発見され、人々が新大陸を目指していた大航海時代。日本では天下人がヨーロッパと積極的に交流し、安土桃山文化が華やかに幕を開けた。今回の「新・桃山展 ―大航海時代の日本の美術」はそれぞれ異なる外交策をとった織田信長、豊臣秀吉、徳川家康を案内人に、123件もの名宝を“大航海時代の日本”という視点で見つめ直している。

豊臣秀吉が造らせた絢爛豪華な黄金の茶室を再現! 博物館入り口に展示。

なぜこの作品がつくられたのか。どうしてこの技法が編み出されたのか。桃山時代の外交の歴史を知れば謎が解けるのだ。

さらに、水墨画の巨匠・長谷川等伯の「国宝 松林図屏風」や、桃山文化を象徴する画家・狩野永徳の「国宝 檜図屏風」なども登場。二大絵師が共演するめったにない機会である。

狩野永徳筆「唐獅子図屏風」(宮内庁三の丸尚蔵館蔵) ※11月12日まで展示

まずは、海外と積極的に交流し、文化や芸術を取り入れた天下人・織田信長の時代から鑑賞しよう。桃山時代に造詣が深い安部龍太郎氏の講演会レポートもあわせて参考にしていただきたい。

 

(1)織田信長の戦いを支えた “輸入ルート”

ポルトガル人から鉄砲が伝わりイエズス会からキリスト教が伝来して、日本の商業と美術は大きく変わる。織田信長は、流通拠点の津島(愛知県)を治め莫大な資金を得て、近江で鉄砲を生産。境(大阪府)の商人たちに「軍事費2万元を出せ。払えないのであれば焼き討ちにする」と言い、今の価値で20億円もの資金を集めたという。流通拠点を支配した織田信長は、やがて貿易も支配していった。

「火縄銃 墨書銘天正十一九月九日喜蔵とりつき」京都・龍源院所蔵 ※10月29日で展示終了

火縄銃。国産化に成功して天下統一に大きな役割を果たした。ただ、材料の一部は輸入しなければならず、安部氏によると「輸入ルートを持っていた者が戦いに勝った」のだという。

「洛外名所図屏風」東京・太田記念美術館所蔵
鉄砲を撃つ光景が描かれている。清水寺あたりを探してみよう。

信長はイエズス会に仲介を頼み、ポルトガルと交易をしていた。イエズス会とは友好的な関係を保つため京都に南蛮寺をつくり、定住も布教も許して保護している。この外交関係を力に信長は天下統一へと大きく歩みを進めたのだ。
 

「都の南蛮寺図扇面」狩野宗秀筆 兵庫・神戸市立博物館所蔵
イエズス会が京都に建てた和風建築の教会が描かれている。

 

「豊後府内古図」大分市歴史資料館所蔵
現大分市にも「唐人町」や「キリスト教会」と思われる「タイウスドウ ケントク寺」が見られる。

1580年にポルトガルがスペインに併合されると、スペインと外交関係を築こうとしたが交渉は決裂。信長はイエズス会と手を切った。「この交渉決裂で日本の政情が不安定になった」と安部氏。やがて信長は1年も経たずして殺されることになる。

 

(2)バテレン追放令を出した豊臣秀吉

その後天下をとった豊臣秀吉の時代には、長谷川等伯の手がけた優美な屏風絵や茶聖・千利休ゆかりの茶陶の名品が数多く残されている。利休は唐物を最高級のものとする価値観とは異なる美を見いだし、茶杓、竹花入、釜、そして茶碗に目新しい品々を積極的に取り入れた。

重要文化財「黒楽茶碗 銘 ムキ栗」 国(文化庁保管)
千利休は自身の理想とする茶碗「黒楽茶碗」をつくらせている。底は円形、飲み口は四方と大胆なつくりだ。

また、将軍家の座敷飾りでは「無用」とされたが、侘び茶のなかで高く評価されている灰被天目、朝鮮半島の日常雑器・高麗茶碗も会場に展示されている。

千利休、古田織部といった桃山文化を代表する茶人ゆかりの茶器も展示されている

秀吉は1587年に筑前国箱崎(現福岡市東区箱崎)で「バテレン追放令」を出し、西洋の思想や文化を閉め出そうとした。しかし、各地の教会やセミナリオを中心に西洋芸術は浸透していく。当時の屏風には貿易船団や「太陽の沈まぬ国」と言われたスペインや、ポルトガルの人々が描かれるようになった。​
 

「南蛮屏風」狩野内膳筆
ポルトガルの貿易船団を出迎える日本人の姿が見られる。※10月29日で展示終了
名古屋市指定文化財「茶地天鵞絨洋套」(伝豊臣秀吉着用) 愛知・名古屋市秀吉清正記念館所蔵
秀吉が羽織ったというマント。ヨーロッパでつくられた布地は絢爛豪華だ。※10月29日で展示終了

 

(3)そして徳川幕府の統制で時代は鎖国へ

豊臣秀吉亡き後、天下をとった徳川家康は、朝鮮出兵で破綻した国際関係に手をつける。国交を回復し、東南アジア諸国と朱印船貿易を開始。さらに、豊後国(現大分県)に流れ着いたオランダ船の乗組員を外交顧問に迎え、オランダ、イギリスとも外交をはじめた。

重要美術品「刀 銘 以南蛮鉄於武州江戸越前康継/慶長十九年八月吉日」 愛知・徳川美術館所蔵
「家康」の一文字をもらった徳川家お抱えの刀工・康継は、南アジア産の鉄を好んだ。

第2代将軍秀忠の治世になると幕府は禁教令を出し、全国のキリスト教徒を弾圧する。やがて、禁教と貿易の統制をもって1639年に鎖国が完成し、花開いた南蛮美術も姿を消していった。

重要文化財「花鳥蒔絵螺鈿聖龕」九州国立博物館所蔵
日本の漆器職人が制作し、蒔絵・螺鈿細工がほどこされた聖画を納める祭祀具。
西洋の美と日本の職人技が見事に調和した細やかな細工は必見だ。
重要文化財「泰西王侯騎馬図屏風」兵庫・神戸市立博物館所蔵
日本のセミナリヨで西洋画家の訓練を受けた画家が輸入版画をもとに描き上げている。
※11月5日で展示終了

「外交」を通して桃山時代以降の芸術作品を見ると、教科書やドラマでは描かれない歴史が見えてくる。安部氏によると「本能寺の変が起こり、狼狽する秀吉に『天下をとるなら今』と黒田官兵衛が進言するシーンをテレビでよく見ますよね。実は黒田官兵衛の背後にはキリシタンがいたと言われているんです」。国内の政治や勢力関係にも外交が大きく関わっていたのだ。

物販コーナーでは本展の図録、オリジナルグッズなどがあり、見終わった後も桃山時代に浸ることができる。

 

そんな歴史の知られざる一面に迫る「新・桃山展 大航海時代の日本美術」は、11月26日(日)まで九州国立博物館で開催中だ。

奥永 智絵(おくなが・ちえ)
株式会社チカラのライター・エディター。1978年生まれ、福岡市出身。株式会社プランニング秀巧社を経て株式会社西日本リビング新聞社に入社。2011年リビング北九州編集長に就任。2015年から株式会社チカラに所属し、雑誌・広報誌・社内報の制作や経済誌の執筆、文章の学校講師を担当。
https://chikara.in/

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