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長谷川等伯と狩野永徳対決の行方 —新発見の博多萬行寺屏風から見えてくること【レポート】

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浅野 佳子
2017/12/28
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長谷川等伯と、狩野永徳。日本美術の黄金期を代表する2人の画家の間に、対決があった?そしてそれが福岡にある屏風に影響を与えている?インパクトあるタイトルに惹かれて、黒田泰三さんの講演会にうかがいました。

黒田泰三さんは、出光美術館の学芸員を38年務めた後、現在、明治神宮ミュージアム開設準備室室長としてご活躍中。長谷川派や狩野派に関する著書も多く、多彩な研究のエッセンスを聞くことができる貴重な機会でした。

長谷川等伯と狩野永徳の画は、どう違う?
「狩野永徳は、いまで言うと大企業の社長のようなものです。当時の絵画の技法を習得していたエリート画家集団のトップ。一方の長谷川等伯は、ベンチャー企業の社長。もともと絵仏師だった人で、独自で画法を作り上げてきました」。

こんなユニークな喩えから講演が始まりました。そしてそれぞれの画の特徴を、実例を挙げながら紹介していきます。黒田さんの考える長谷川等伯の魅力のひとつは「動物の愛らしさ」。鶴や猿、烏の動物表現に端的に表れているように、長谷川等伯は独自の叙情性を確立していき、《松林図屏風》はこの延長上に生まれたと考えています。

新・桃山展チラシ

一方の狩野永徳はまさに王道。黒田さんは木の描き方に注目します。「例えば《檜図屏風》に顕著なように、手前に巨木を配して、ダイナミックで圧倒的な存在感を生み出します」。

新・桃山展チラシ

 

長谷川等伯が、狩野永徳の仕事を奪う!?
狩野永徳の晩年に、寝耳に水のような出来事が起こります。受注していた内裏対屋の襖絵を、「長谷川等伯に描かせよう」と横槍が入ったのです。狩野永徳はそれは困ると、人脈を使ってやめさせます。ほどなくして狩野永徳は亡くなりました。黒田さんは話します。「この出来事が原因とは言えませんが、日本絵画史的に大きな影響を及ぼしたことは間違いありません。実はこの後、長谷川派と狩野派の交流が生まれたのです」。



狩野光信についての大胆な仮説
永徳亡き後、狩野一門の中心人物は光信に移りました。「ところがこの光信は、これまでの狩野派のスタイルを伝えていないのです。永徳に比べて、スラッとしていて、その場にただよう空気を捉えたような画風です。ダイナミズムから繊細な」。ここから黒田さんの想像力が羽ばたきます。「私はこれを長谷川派の影響だと考えているのです。『松林図屏風』で等伯が到達したような、静かで空気を描くような画が、同時代にあったわけですから」。実際、狩野光信が肥前名護屋城の襖絵を制作した際に、長谷川派の画家を招いたことが分かっているそう。

 

そこで、話は博多萬行寺屏風へ

東坡風水洞図(萬行寺屏風) 写真提供:福岡市
梅に鳩図(萬行寺屏風) 写真提供:福岡市

ここで話は少し変わって、博多区祇園にある萬行寺で見つかった屏風、正式名称《梅に鳩図・東坡風水洞図屏風》へと展開します。福岡市が筑紫女学園大学の協力を得て,平成24年から27年にかけて行った福岡市内寺社資料調査の中で確認されたものです。

関係者はこの屏風が出てきた瞬間、「すごいものが出てきた!」と感じたものの、いったいだれの筆になるものなのかが分かりませんでした。そこでちょうど福岡に滞在していた黒田さんに連絡が行ったのだそう。「ひと目見て、狩野派だろうということは分かりました。墨の線の抑揚、人物の耳の特徴がハッキリしていましたから」。その後の調査を経て、狩野派でも新しい様式の混じり合いが見られ、永徳以後の画であること、さらに落款の調査によって狩野重信の筆であることが、ついに分かりました。
つまり、長谷川等伯と狩野永徳の対決後、狩野派に見られた画風の変化を表した画が、博多でつい最近見つかったということなのです。

 

《松林図屏風》の前で直観したこと
先日まで九州国立博物館「新・桃山展」で展示されていた、長谷川等伯《松林図屏風》。「日本人が最も好む国宝」だという言い方もあるくらい人気の画ですが、黒田さんもこの画との並々ならない体験があったそう。

「2001年にスイス・チューリッヒの美術館で行われた『長谷川等伯展』に帯同することになり、《松林図屏風》とともに旅をするという、この上ない機会を得ました。ずっと屏風の前で対峙していると、この画は遠くから見ると確かに静かな画なのですが、近くで見ると激しい筆致で描かれていることに改めて衝撃を受けました。それまで、自分の野望を全て叶えた等伯が、心穏やかな境地にいたって描いたというのが通説だったのですが、この激しさはそんなもんじゃないぞ、と直観したんです」。
実際、生き馬の目を抜くような、千利休が意見の相違から、豊臣秀吉に切腹を命じられたような時代です。「この時の等伯は、智積院に96枚に及ぶ障壁画を描いていたようなタイミング。これはものすごいプレッシャーから逃れるために、自分の描きたい画を描いたのではないかと思い至りました。この松の形は、まさに等伯の故郷の能登半島の松の形ですから」。
黒田さんの話には、ワクワクするような研究者としての論理的な眼と、美術を愛する自由な想像力の双方が入り混じっています。だからこそ、聞く人が画に血の通った魅力を感じるのだと感じた講演会でした。

* * * * *

この萬行寺屏風《梅に鳩図・東坡風水洞図屏風》は2018年9月15日から11月4日まで福岡市博物館で開催される特別展「浄土九州―九州の浄土教美術」で特別に公開される予定です。お見逃しなく!

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