西日本新聞創刊140周年記念特別展
新・桃山展-大航海時代の日本美術
2017/10/14(土) 〜 2017/11/26(日)
09:30 〜 17:00
九州国立博物館
アルトネ編集部 2017/10/23 |
九州国立博物館で11月26日まで開催中の「新・桃山展-大航海時代の日本美術」では、室町時代の鉄砲伝来から江戸時代の「鎖国」までの文化交流史を美術品とともに紹介しています。西日本新聞の記者が海外・国内を取材し、美術品が辿った軌跡を全3回でお届けします。(アルトネ編集部)
日本にキリスト教をもたらしたイエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエル(1506~1552)。教科書などでおなじみのその肖像画が見つかったのは1920(大正9)年、大阪北部の山里、現在の茨木市千提寺地区だった。戦国時代、キリシタン大名として有名な高山右近が治めた土地で、住民の一部は江戸時代の過酷な宗教弾圧をかいくぐりながら、キリスト教の信仰をひそかに守り続けてきたという。
発見の経緯はこう伝わる。地元の郷土史家が隠れキリシタンの末えいの家を突き止め、家宝を見せるよう説き伏せる。既に信仰の自由は認められていたものの、それでも江戸時代に踏み絵を強いられた当人はかたくなに拒む。
「それだけは(外部に)見せてくれるな。お縄になる」「怖くない。今の時代は宝物になる」
説得に折れ、母屋の屋根裏から出てきたのは、当主と後継ぎしか見ることのできない「あけずの櫃(ひつ)」。中に納められていたのがこの絵だった。
ザビエルの肖像画はどこでどうやって描かれたのか。はっきりしたことは分からない。ザビエルが1551年秋に訪れた豊後府内(現大分市)。大友義鎮(後の宗麟)に謁見(えっけん)した際の記録が残る。港にはポルトガル船が入り、ザビエル一行を西洋の縦笛の演奏で歓迎したという。城下ではその6年後、地元の少年たちがグレゴリオ聖歌を合唱するなどいち早く西洋文化の華が開いた。
イエズス会は日本にキリスト教を根づかせるため、巡察師ヴァリニャーノが主導し、セミナリヨ、コレジヨといった教育機関を各地に設置。初等教育のセミナリヨではラテン語、日本語とともに音楽の授業が毎日行われた。ヴァリニャーノは「日本巡察記」で音楽の授業に触れ「教会で行われる儀式や荘厳な祝祭に役立つであろう」と記している。当時の歴史を調査した竹井成美・宮崎大名誉教授(西洋音楽史)は「音楽は儀式を演出し、布教に欠かせないもの。現代からは考えられないほど音楽教育が充実している」と目を見張る。
美術教育もこの時期、本格化する。ヴァリニャーノが呼び寄せた同郷ナポリの画家ジョバンニ・ニコラオが83年に来日。ザビエル来日から30余年たち九州を中心に信徒の数は増加し、キリストや聖母マリアを描いた礼拝画は舶来品だけではまかなえず、国内制作の必要に迫られていた。
「当時、日本に入ってきた西洋絵画はルネサンス以降の絵画。立体的な奥行きのあるものの見方、世界観を伝えた。日本人にとってまさに3D体験だった」。西洋絵画受容の歴史に詳しい岡泰正・神戸市立小磯記念美術館長は当時の日本人が受けた衝撃をそう表現する。
豊臣秀吉が87年に筑前箱崎(現福岡市東区)でバテレン追放令を出すなどキリスト教徒に対する風当たりは次第に強まる。イエズス会はセミナリヨに画学舎と呼ばれる美術工房を設置し、拠点を島原や天草など転々と移しながら最後は長崎に腰を据え、1614年の禁教令が出るまで日本人画家を育成し続ける。
日本伝統の屏風形式を借り、金地を背に異国の王侯たちが馬上の勇姿を競う「泰西王侯騎馬図屏風」など初期洋風画の傑作は彼らが生み出したものだ。
ザビエルの肖像画もセミナリヨで学んだ日本人が描いたと目されている。岡さんは肖像画の制作地について、ザビエルの頭上に輝く後輪の存在に注目する。後輪は聖人の象徴。ザビエルがローマ教皇に列聖されたのは死後の22年。「国内でそんな情報が入る可能性があるのは長崎くらい。絵は長崎で後輪を書き加えられ、ひっそりと茨木へ運ばれたのではないか」と推測する。
大航海時代、キリスト教とともに日本にもたらされた洋画の技術は表舞台から姿を消しながらも、信仰とともに300年近く大切に守り伝えられたことになる。
(神屋由紀子)=10月20日西日本新聞朝刊に掲載=
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