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江戸の天才画家 芦雪ものがたり ㊤ 型破り/九州国立博物館 特別展「生誕270年 長沢芦雪」【コラム】

2024/02/19 LINE はてなブックマーク facebook Twitter

奇想の画家 南紀の旅で開花
 

 時をさかのぼること238年。江戸時代中期の秋、一人の画家が南紀への旅に出た。
 長沢芦雪(ろせつ)、33歳。師匠の円山応挙(おうきょ)や伊藤若冲(じゃくちゅう)ら、親子ほど年の離れたベテランと肩を並べて京都で画業を営み、ちょうど脂が乗ってきた時期だった。
 旅の目的は、津波による流失から再建された和歌山・串本の無量寺に応挙の絵を届け、自らも描くこと。無量寺の和尚と親しい応挙自らが赴く予定だったが、多忙で断念。名代として、あまたいる門下生から芦雪に白羽の矢を立てたのだった。
 1月上旬、芦雪の痕跡を求めて私も串本へ向かった。本州最南端の町への道程は、現代の鉄道を使っても遠い。博多から新幹線と特急を乗り継いで約6時間。京都からでさえ約4時間かかる。ましてや芦雪は、応挙から託されたふすま絵や贈り物の杯、画材道具などを携えての旅路である。船で幾日もかけ、京都から紀伊半島を南下してたどり着いたのだろう。

   ‡     ‡
 芦雪の代表作「虎図襖(ふすま)」と「龍図襖」(いずれも重要文化財)は、この旅のごく初期に無量寺で描かれたとみられる水墨画だ。
 「本堂で見るとよく分かりますよ」。無量寺の東谷洞雲住職(54)に特別な許可をもらい、二つのふすま絵が見える本堂の部屋に入った。
 住職が日ごろ読経しているという位置に座ってみる。両側のふすま各4面にわたって描かれた虎と龍が、想像以上に大きいのに驚いた。前足をぐっと伸ばした虎は、今にも飛びかかってきそうな迫力だ。仏間に向かって左の虎は西、右の龍はちょうど東の方角に当たる。
 「お釈迦(しゃか)さまの元からビョンと跳ねてこっちに来たような感じでしょう? 西の白虎、東の青龍は仏教の守護神。芦雪は、末永くお寺を護持してくれるようにと願いを込めて描いたに違いありません」
 これら本堂の絵は2009年に大日本印刷(DNP)が制作して収められた複製画。実物は通常、寺の収蔵庫で公開されているが、九州国立博物館で開催中の特別展で見ることができる(展示は3月3日まで)。2世紀を超えても実物は今なお、墨の濃淡が鮮やかで美しい。
 太平洋戦争中は空襲を避けるため檀家(だんか)の人たちがふすま絵を避難させた。戦後は地元の高校生も手伝い、寺に小さな美術館を作って守り継いできた。時を超えてこれらの虎と龍に出合えるのは、世代を超えた努力のおかげなのだ。
   ‡     ‡
 無量寺の「虎図襖」には、一つの仕掛けが隠されている。ふすまの裏に描かれたのは、池の魚を狙う猫。左前足を伸ばすしぐさが、表の虎とそっくりだ。
 「魚の目からは、猫だって虎のように見える。そういう趣向ですよね」
 そう語るのは、美術史家で明治学院大教授の山下裕二さん(65)。「魚はある意味、芦雪自身でもある。芦雪は『魚』という印を使い続けましたからね」
 ここで思い起こすのが、芦雪が南紀へ行く少し前から使い始めた印章の謎である。「魚」の一文字の周りを、氷のように波打った六角形が囲む。デザインは変わらないが、ある時期から右上の一部が欠けるようになった。長年、それは研究者の間で「師匠・応挙への反抗の表れだ」とみなされてきた。
 動物の毛一本一本まで緻密に描く「スーパーリアル」な写生の祖と呼ばれる応挙に対し、芦雪の絵はデフォルメを効かせた躍動的な絵。師の画風に忠実でないことが反発と解釈されたのだ。
 一方、「2人はお互いを理解し合っていた」とみるのは岡田秀之・福田美術館学芸課長(48)。応挙自身も、狩野派という型を破って写実的な描き方を生み出した革新者だからだ。芦雪には、応挙の画風を真剣に学んだ跡も見える。「牡丹孔雀(ぼたんくじゃく)図」(3月3日まで展示)は、応挙の作と見まがうほど緻密で写実的だ。「型を習得した上で新たな個性を採り入れようとした芦雪に、応挙は若き日の自分を重ねていたのではないか」。岡田さんは語る。

「牡丹孔雀図」長沢芦雪筆 江戸時代 18世紀 京都下御霊神社
(展示は3月3日まで)

   ‡     ‡
 無量寺を後にする頃には、午後の強い光が差していた。近くには奇岩で知られる「橋杭岩」がある。寄せては岩礁に砕ける波を、芦雪も眺めたろうか。
 太平洋に突き出した最南端の岬に立った。黒潮の影響か、風はそう冷たくない。四方からさんさんと陽が降り注ぐ様は、底冷えする京都の冬を知る芦雪には別世界と映ったに違いない。

無量寺がある和歌山県・串本の「橋杭岩」。本州最南端の串本は明るく暖かい

 芦雪の南紀の旅はおよそ半年に及び、無量寺だけでなく数々の寺や民家に作品を残した。行く先々で歓待されたようで、宴席で即興的に描いた絵も多い。この旅を境に、芦雪の画風は大きく変わったと評される。
 自身を囲っていた氷が溶けるように型を破り、芦雪はのびのびと泳ぎ始めたのだろう。後に世界を魅了する「奇想の画家」は、こうして花開いたのである。
                               (川口安子)

※【江戸の天才画家 芦雪ものがたり㊦】はこちらから

特別展「生誕270年 長沢芦雪(ろせつ)―若冲(じゃくちゅう)、応挙(おうきょ)につづく天才画家―」
3月31日まで福岡県太宰府市の九州国立博物館。西日本新聞社など主催、積水ハウス 福岡マンション事業部特別協賛。「奇想の画家」として国内外で高い評価を受ける長沢芦雪(1754~1799)の画業をたどる九州初の大回顧展。伊藤若冲、円山応挙らの名品もゲスト出陳される。前期(3月3日まで)と後期(同5~31日)で大幅な展示替えあり。観覧料は一般2000円、高大生1000円、小中生600円。月曜休館(2月12日は開館、同13日は休館)。ハローダイヤル=050(5542)8600。

=(2月10日付西日本新聞朝刊に掲載)=

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