
磯崎新の原点
九州における1960-70年代の仕事
2025/01/04(土) 〜 2025/03/16(日)
09:30 〜 17:30
北九州市立美術館 本館
2025/02/23 |
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大分が生んだ建築界の巨星であり、知の巨人であった磯崎新氏(1931―2022)の初期建築の紹介や九州での出会いやエピソードにまつわる作品群が並ぶ展覧会「磯崎新の原点 九州における1960-70代の仕事」が北九州市立美術館で開催中です(3/16まで)。担当学芸員・落合朋子さんに寄稿をいただきました。
(後半をよむ)
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北九州市立美術館は磯崎新(1931-2022)の設計により1974年に開館し、2024年に開館50周年を迎えました。磯崎は当館のほか、本市の北九州市立中央図書館、西日本総合展示場、北九州国際会議場を手がけており、これらの建築は、北九州市のランドマークとして親しまれています。1月4日に開幕した「磯崎新の原点 九州における1960-70年代の仕事」展では磯崎と福岡シティ銀行(現・西日本シティ銀行)の頭取を長くつとめた四島司(1925-2015)との交流を中心に、磯崎の九州 における1960-70年代の仕事を紹介しています。
活躍のきっかけは九州での出会いだった
建築家の仕事とは公共であれ民間であれ、クライアントがあって初めて実現します。私の最初の25年間の仕事の大部分は九州にあります。国際的にデビューできたのは、岩田正・岩田学園初代理事長、四島司・福岡シティ銀行(現西日本シティ銀行)頭取、谷伍平・北九州市長(ともに当時)ら、建築を文化だと理解している方々の支持で設計ができたためです。(1)
磯崎がこう語るように、大分市に生まれた磯崎の初期建築の多くは、九州で実現しています。そこには若き磯崎の才能を見いだし、活躍する機会を与えた人たちがいました。まずは大分です。磯崎は、1945年に母を、1951年に父を亡くしますが、実業家であり、歌人でもあった磯崎の父の友人たちは、東京大学の大学院に籍を置き、丹下健三研究室のスタッフとして丹下の設計を手伝う磯崎に、活躍の機会の場を与えます。こうして1960年に大分県医師会館、1964年に岩田学園、中山邸、1966年に大分県立大分図書館と、磯崎は故郷で次々と自身の建築を実現していきます。
斬新な色彩やかたちの銀行店舗―福岡相互銀行・四島司氏との仕事
磯崎を支える大分の地縁のネットワークは、福岡相互銀行(のちの福岡シティ銀行)の四島司に引き継がれます。福岡相互銀行は大分にも支店があり、四島は1965年頃、取引先の岩田学園の岩田正より、磯崎を紹介されました。若き磯崎の才能を見いだした四島は、福岡相互銀行大分支店の設計を磯崎に依頼します。ランドマークとなった25.3mのタワーや、サーモン・ピンクの色彩で彩られた内部など、銀行建築の既成概念を打破した大分支店は話題となり、以降、四島は磯崎に支店の設計を次々と依頼していきます。
天神から博多駅前への本店移転にあたっても、四島は磯崎に設計を任せ、インド産の赤砂岩を用いた重厚な外観の福岡相互銀行本店は、長らく博多駅前のシンボルとして、博多の街を彩ってきました。
磯崎が手がけた福岡相互銀行の建築は、大分支店、八幡支店(※基本設計)、大名支店、東京支店、長住支店、六本松支店、本店、佐賀支店、新宿支店(※内装デザイン)の計9件あります。建築に色彩を持ちこんだ大分支店や、床、壁、天井などを1辺1.2mの正方形で埋め尽くした長住支店など、磯崎が試みた実験の足跡が見て取れます。
(1)「建築家磯崎新氏 青空と焼け野原が原風景、新たな構想生む源(九州と私)」『日本経済新聞』2006年5月27日朝刊。
落合朋子(北九州市立美術館 学芸員)
2025/02/08(土) 〜 2025/04/06(日)
福岡市博物館
2025/02/27(木) 〜 2025/03/31(月)
福岡三越9階「三越ギャラリー」
2025/01/21(火) 〜 2025/05/11(日)
九州国立博物館
2024/11/30(土) 〜 2025/03/15(土)
山口情報芸術センター[YCAM]
2025/03/15(土)
福岡市美術館 1階 レクチャールーム