
九州派イン東京地方
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謎解明へ熱意を失わず、根気強く取り組む姿勢に驚きしかない。
福岡県那珂川市で出土の古代墳墓が、遠く離れた東北地方の蝦夷(えみし)と呼ばれた人々のまとめ役の墓である可能性が高いと、同県大野城市の文化財担当職員が明らかにした。約20年前に発掘され、その豪華さなどが謎だった墳墓の解明を諦めずに追った成果だ。
このニュースは本紙(1月9日付)で紹介したが、なぜ東北との関係を思い付いたのか。そのきっかけにたどり着く過程にも担当職員の粘りがあった。
大野城心のふるさと館の担当職員、上田龍児さん(45)によると、経緯はこうだ。
市東部の「薬師の森遺跡」の2011年度の調査で、内側をいぶして黒くした黒色土器9点などが出土した。時期は8世紀末とみられる。かまどの煙を外に出す「煙道」が建物の壁面から長く延びる住居跡も確認された。
いずれも東北の遺跡で見られる特徴があり、上田さんは関連を疑った。しかし九州で黒色土器が出土するようになるのは9世紀前半以降の遺跡が主だった。時期のずれがあり、結論を出せないまま15年に報告書をまとめた。
だが調査終了にはしなかった。「ずっと気になっていた」という上田さんは20年、九州で発掘された東北系の遺物に関する論文があるのをたまたま知った。読み込んだ上で、22年ごろから再び検討を始めた。
保管されていた黒色土器を改めて見直した。ろくろを使わない製法など、東北の土器に限りなく似ていた。一方で原料の土は、この遺跡の他の土器や、一般的な地元の土器と同じだった。
蝦夷のうち天皇中心の律令(りつりょう)国家に帰順した人々は「俘囚(ふしゅう)」と呼ばれ、東北から各地に強制移住させられた記録は知られていた。
ということは、黒色土器は九州に移り住んだ俘囚たちが作ったのではないか―。
そこから九州と東北の関係に着目し、研究を広げていった。那珂川市の古代墳墓の謎解明は、その延長線上だった。
今年2月には、発端となった薬師の森遺跡の黒色土器を、蝦夷の文化に詳しい東北の研究者に見てもらった。「8世紀後半の北上川上流(岩手県)の土器に近い」との回答で、研究が間違っていなかったことが示された。
著名な遺跡だけでなく、土地開発に伴う発掘調査も全国各地で進められ、自治体の多くの文化財担当職員は多忙だ。上田さんも大野城市の国特別史跡「水城」の発掘調査に携わってもいた。そんな日々の傍ら、一つの謎に迫っていく探究心に本当に頭が下がる。
上田さんらの研究成果の一部は、大野城心のふるさと館で開催中の「映画『もののけ姫』から学ぶ考古学」展で紹介している。6月15日まで。
(古賀 英毅)
=(5月7日付西日本新聞朝刊「風向計」に掲載)=
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