レオナルド・ダ・ヴィンチと「アンギアーリの戦い」展
2018/04/06(金) 〜 2018/06/03(日)
09:30 〜 17:30
福岡市博物館
大迫章代 2018/04/23 |
福岡市博物館で現在開催中の「レオナルド・ダ・ヴィンチと『アンギアーリの戦い』展~ 日本初公開『タヴォラ・ドーリア』の謎 ~」。これは、完成していたら「モナ・リザ」と並ぶレオナルドの代表作となっていたに違いないと言われる幻の大壁画「アンギアーリの戦い」をめぐる展覧会だ。未完なのに、しかも現存していないのに、なぜ西洋美術史に残る傑作と言われているのか?この背景を知っているのと知らないのとで、この展覧会の面白さは全然違ってくる! 4月7日に行なわれた講演会をガイドに、知って観ると10倍楽しめる本展の見どころをリポートします。
本展を楽しむために、まず知っておくべきなのが、この壁画が描かれることになった経緯。講演会の講師、東京富士美術館館長・五木田聡氏によると、《アンギアーリの戦い》とは、1504年8月、フィレンツェにあるパラッツォ・ヴェッキオの大評議会広間(現在の五百人大広間)を飾るために依頼されたものだという。これは、メディチ家を追放して政権を手にした共和国の権威を誇示するために、当時の国家主席ピエロ・ソデリーニと書記官のニッコロ・マキアヴェッリ(のちの「君主論」の筆者)らが企画したもので、テーマは「フィレンツェ軍が勝利した栄えある戦い」。そこでレオナルドが題材にしたのが、1440年ミラノ軍との「アンギアーリの戦い」。ミケランジェロが題材にしたのが、1364年ピサ軍との「カッシナの戦い」だった。
しかし、この壁画はともに実物大の下絵が制作されただけで、完成することはなかった。未完に終わった理由は、それぞれ違うが、このレオナルドとミケランジェロの顔合わせは、「この時の壁画が完成していたら…」と、多くの西洋美術ファンが夢見ずにはいられない“世紀の競演”。そして、その後、下絵があった場所に新しい装飾を施され、下絵自体が失われてしまったことから、「その全貌はどんなものだったのか」と想像をかき立てられずにはいられない、永遠のミステリーともなっている。
では、この現存しない未完の壁画が、なぜこれほどまでに有名なのか。それは、2人が制作を放棄した後も、しばらくの間そのままシニョリーア宮殿の大評議会広間に残され、一般に公開されていたからだという。そして、その間、「2人の壁画をひと目観たい」と広間を訪れた画家の模写や、絵を観た人々の記録が多数残されていることから、500年の時を超え、現代の私たちも幻の壁画の一部を垣間見ることができるのだ。
後年の書簡で、ミケランジェロは1505年には下絵を仕上げていたと言われる。下絵はその後失われたため、その構図は後年に描かれた数々の素描や版画によって断片的に知られるのみだったが、アリストーティレの模写は、ミケランジェロの下絵を直接手本にした唯一のもので、全体の構図を伝える貴重な作品。戦いの合間、水浴びをしている兵士たちがピサ軍に奇襲され、慌てて服を着ようとしている様子が描かれている。彫刻家としても、人間の複雑な肉体美を探求しつづけていたミケランジェロらしい1枚。日本初公開だ。
そして、いよいよ本題のレオナルドの《アンギアーリの戦い》について。この幻の壁画を語る上で、欠かせないのが《タヴォラ・ドーリア》の存在。
《タヴォラ・ドーリア》とは、イタリア語で“ダヴォラ家の板絵”という意味で、レオナルドが構想した大壁画《アンギアーリの戦い》の中心的エピソードと同じ「軍旗争奪」の場面を描いた85.5㎝×115.5㎝の板絵だ。では、《タヴォラ・ドーリア》は、なぜそんなに重要なのか?…
レポート後編では、五木田氏が教えてくれた《タヴォラ・ドーリア》の興味深いバックストーリーと、その見方を詳しくご紹介します!
(つづく)
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