企画展
ソシエテ・イルフは前進する
福岡の前衛写真と絵画
2021/01/05(火) 〜 2021/03/21(日)
09:30 〜 17:30
福岡市美術館
2021/01/17 |
日本が戦争へと向かい、思想への圧力や生活統制が強まる時代に、芸術に夢を見た「前衛」の表現者たち。福岡の「ソシエテ・イルフ」を軸に足跡をたどる。
第1回目はこちら
地方から強烈な個性求めて
1939年に結成された前衛集団「ソシエテ・イルフ」は人々の出会いがきっかけで生まれた。舞台は、芥川賞作家の火野葦平や奇書として知られる「ドグラ・マグラ」の夢野久作が出入りし、文学サロンとなっていた中洲の喫茶店「ブラジレイロ」(34年創業、現在は福岡市博多区店屋町で営業)だった。
35年、東京美術学校(現東京芸術大)図案科を卒業したばかりの小池岩太郎(1913~92)が福岡県庁商工課へ勤務するため博多に来た。目新しかったデザインの専門家は、同じ写真同好会に所属していた高橋渡や久野久らと出会う。
<東京から来たこの若造に何か意気を見たのであろうか>。戦後に工業デザイン界で活躍した小池は87年、福岡市美術館であった「郷土の前衛写真家たち―ソシエテ・イルフ」展に寄せてこう述懐している。彼らは小池の職場に立ち寄ってはブラジレイロへ誘い出し、語り合う中で誰からともなく、グループ結成の話を口にするようになった。
福岡市生まれの画家伊藤研之(1907~78)は1938年、二科会に集まった前衛傾向の強い作家で作る「九室会」会員となり、一目置かれる存在となる。翌39年の二科展に出品した油彩「音階」は、横長に引き延ばされたピアノの向こうに巨大な貝殻が横たわる。脈絡の見えにくい要素を組み合わせ、不思議な静寂に支配されたシュールレアリスムの世界が漂う。
伊藤は早稲田大でフランス文学を専攻し33年に卒業。故郷の福岡市で本格的に絵を始めつつ、高橋や久野が結成したイルフに加わった。
「音階」は、久野が撮影した貝殻の拡大写真を絵に取り込んだとされている。異分野間の影響関係が創作の源となっていたことがうかがえる作品だ。
切磋琢磨(せっさたくま)しながら、若い情熱を新しい芸術の創造に注いだ彼らが生きた1930年代の日本は、矛盾を抱えた混迷の時代だった。
昭和三陸地震(33年)に室戸台風(34年)と、災害が毎年のように襲った。不景気は終息せず、小津安二郎の映画「大学は出たけれど」(29年)が描くように大学生は就職難に直面した。心中や娘の身売り、女学校の生徒などが火山の火口に身を投げる「三原山自殺」と、衝撃的な現象も続発した。38年には日中戦争の拡大により、40年に予定された東京五輪が中止と決まる。
一方、関東大震災からの復興を遂げた東京を中心に都市は膨張を続け、映画やスポーツが人気を博した。ラジオが普及し、共通のニュースや話題が全国に行き渡るようになったのも同じ頃である。
どこか現代と重なる世相を言葉で表現した人がいる。イルフの高橋や久野と同世代の詩人金子光晴(1895~1975)だ。戦後に発表した「絶望の精神史」で、満州事変(31年)後の日本に海外から帰国したときの感慨を書き記した。
金子は<文化は花咲き匂っている><人は着飾り、街は繁栄している>と感じると同時に<世界の現実と密着しない絵そらごと>のようだと受け取り<これでいいものなのか>と一抹の不安を抱く。厳しい現実から目を背けたような文化の隆盛。金子のようにもやもやした思いを覚えた文化人は少なからずいただろう。
1930年代は福岡市でも、幹線道路や橋の整備が進み都市化した。大正以来進出した映画館やデパートによって歓楽街もにぎわった。イルフの面々はときに喫茶店でコーヒーを楽しみ、ときに水炊きをつつきながら会合を持った。
弁護士らしく理論家の高橋がまとめ役。許斐儀一郎(1896~1951)は家業が造り酒屋でおおような性格から「旦那」と呼ばれた。写真工房を開業した田中善徳(1903~63)は後に染織工芸家としても活躍。吉崎一人(1912~84)は最も息長く写真を続けた。
病める時代に、イルフは流行や大量の情報に埋もれまいとする姿勢を鮮明にする。39年10月、高橋は雑誌「フォトタイムス」にイルフの紹介文を書き<西欧的直訳シュール・レアリズムより解脱して吾々(われわれ)自身のものを持つべき>と主張。40年発行の同人誌「irf 1」では、宗教も科学も新しい思潮も<イルフ成長の糧に過ぎない>と息巻く。
同時代には、愛知県の名古屋をはじめとする日本各地に前衛写真グループがあった。名古屋市美術館学芸員の竹葉丈は「東京のように大きな団体がない地方都市では、共通の意識を持つ個人が自由に集まり、活動を展開しやすかった」と背景を読み解く。時代の流れを是としない前衛精神と自由な創作への発想は、当時、地方だからこそ養えたのだ。=敬称略(諏訪部真)
=(1月5日付西日本新聞朝刊に掲載)=
九室会
在野で最有力の美術団体だった「二科会」で、前衛傾向の作品を展示会場の9番目の部屋(第九室)に集める慣例があったことから、二科会所属の前衛画家が1938年にグループを結成した。創立会員は吉原治良、山口長男らで、戦前の前衛美術の代名詞的存在となった。顧問に藤田嗣治と東郷青児を迎え、43年まで存続した。
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