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気迫と気品の木版画 没後70年 吉田博展 福岡県立美術館

2020/12/03 LINE はてなブックマーク facebook Twitter
吉田博「溪流」

 彫りながら力が入りすぎて歯を痛めたというのだから並大抵ではない。福岡県久留米市出身の吉田博(1876~1950)が残した木版画「溪流(けいりゅう)」(1928年)は、流れて渦巻く水の一筋に至るまではっきりとした線で表し、曖昧さが一切ない。通常は彫師に任せるところ、水の流れの部分だけは自身が彫った。気品漂う木版画で人気が根強い吉田だがその作風からは、一瞬を捉えることへの鬼気迫る執念も見て取れる。

 吉田は中学修猷館を経て、上京して画家小山正太郎の画塾「不同舎」に入門した。風景画を得意とし、23~25歳にかけては絵を売りながら米国と欧州を旅した。画家として評価を得た後、49歳になった1925年から木版画に本腰を入れた。分業が伝統的だった彫りや摺(す)りの技術を作者として熟知し、高い技巧の作品を生み出していく。愛好者も多く、97年に交通事故で亡くなった英国のダイアナ妃が「光る海」を執務室に掛けていたことは有名だ。

吉田博「光る海」。ダイアナ妃が執務室に飾っていたことが知られる

 木版画の「溪流」とほぼ同じ風景を描いた1910年の油彩画がある。絵ではしぶきの部分は白い色面に近くなり、動きを感じられる半面ぼんやりとしている。一方の木版画では、水の流れを構成する線が感情を持ったようにうねりながら入り組む。捉えたのは、刻々と変わっていく水面の一瞬の表情。絵よりも明快で硬質な印象を受けるのは、吉田の造形の意思が画面の隅々にまで強く反映されているからだろう。刹那(せつな)を仕留めた緊張感のある画面は絵では表現しきれない。

 芸術としての版画は絵画の一段下に見られる傾向があった。当時の代表的な展覧会「帝展」に版画の出品が認められたのは27年のことだ。そうした状況で吉田が木版画に力を注いだ背景には、風景に対する突出した感受性もあっただろう。

 登山を愛好したことでも知られ、26年の「日本アルプス十二題」をはじめ山の版画も多い。夜気に包まれた野営の景色や群青色の山容、細く重なってたなびく雲などは、実際に登頂していなければ目にできない。旅にもよく出掛け、国内外の名所を題材とした。山の頂も各地の風物も一度きりの出合いだ。それらを絵よりも強固な形で平面の中に閉じ込めたいという願いが強かったのではないか。

 江戸時代に確立した浮世絵版画の伝統も踏まえつつ、吉田は平均30回、多いときは96回に及んだという摺り重ねや、長辺80センチ超の特大作品など新しい版画に挑み続けた。根強い人気の理由には目を奪う技巧と、昔の風景がたたえる懐かしさもあろうが、それだけではない。瞬間を密封した高精細な画面の前で、闘志みなぎる荒々しい息づかいに耳を澄ませたい。

 「没後70年 吉田博展」は13日まで、福岡県立美術館(福岡市中央区)。生涯で残した約250点の木版画のうち約200点を展示。(諏訪部真)

=(12月2日付西日本新聞朝刊に掲載)=

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