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鹿鳴館から皇居まで手がけた大倉組商会。コレクターの人物像と時代背景を知り見え方を深める【レポート】

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木下貴子
2018/11/13
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この秋注目の、九州国立博物館にて開催中の展覧会「オークラコレクション」(12月9日(日)まで)の魅力や見どころを、3回にわたってお伝えするレポート記事。最終回となる今回は、10月13日(土)に開催された、九州国立博物館の小泉惠英学芸部長による記念講演会「大倉集古館―日本最初の美術館はなぜできた―」のレポートをお届けします。

「コレクションは人についてくるものです。豪快な人であったと知られる大倉喜八郎さんですが、彼がどのような人であったのか、そこを掘り下げてお話しようと思います」という言葉を皮切りに、講演会がはじまりました。

小泉部長。2015年7月より2度目の九州赴任。前職場は東京国立博物館。東洋美術、特にガンダーラ美術に関心を持たれています

1837(天保8)年に商人の家に生まれた大倉平八郎氏は、8歳で『四書五経』を素読し、また12歳より王陽明派の私塾で学び、あだ名は小太閤、そして14歳から狂歌を学ぶなど、大変才覚のあった人だったと言います。「いわゆるインテリというのではなくて、世の中でものを動かしていく立場の人は、やはり基礎的な知識が必要だと私は思っています」と小泉部長。「儒教の基本書とされる『四書五経』には教訓的な話がたくさんあり、君子がいかに成功したことを書くと同時にいかに失敗したかという事例がたくさん書いてありそれを基礎教養として持っておけば、基礎的な力の差が依然として現れると思います。喜八郎の下地もこの8歳の学問に根ざしていたのかとその後の活躍を見て強く感じます」。

喜八郎氏は18歳で江戸に出て、29歳で鉄砲屋を開きます。「江戸時代の終わりにペリーが来航し、江戸に住んでいた喜八郎は横浜へと移りました。当時横浜はまだど田舎で、喜八郎もどうしようもないとある意味打ちひしがれたと記録には書かれています。ですが、港で大きな蒸気船をみて、これは天下が揺れ動くであろうと察知し、その時は戦争が起こるであろうと冷静に考えた。では戦争に必要なものはなにか、まず武器だと目を付け、武器屋を決意したといいます」。ここで話題に上ったのが、前回の九博の特別展「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」です。記憶にある方も多いかもしれませんが、ビュールレ氏も武器を売って財を成し、美術品をコレクションしました。「内輪では、オークラコレクションは武器商人の展覧会シリーズ第2弾と話しています」とユーモアを交えながら話は進みます。

喜八郎氏の略歴

明治になり実業の世界に入った喜八郎氏は、洋服や鉄道工事など色々なことを手掛け、明治6年には大倉組商会を設立し、外国貿易をはじめました。鹿鳴館や帝国ホテルを建てたことはよく知られる話ですが、小泉部長もこの度の調査で、実は皇居も作っていたという驚きの事実に気がついたそうです。

 

帝国ホテル(上)。下は、息子の喜七郎氏が創立したオークラホテル

喜八郎氏は朝鮮半島へも進出し、かなりの資産と土地を獲得しました。「会場をご覧になった方はお気づきになっていると思いますが、朝鮮コーナーにこういうパネルが2枚あり(下写真)、キャプションには『釜山の大倉通り』とあります。つまりこれだけ地場開発に関して貢献をしたということで名前が当時残ったという事実がありました。このように会場の朝鮮の展示コーナーでは、喜八郎が進出し、発展した時代の風景をご紹介しています。展示品とともにこの時代にどういう景色を喜八郎がみていたかを感じていただければと思っております」。

展覧会「第2章アジアに開いた眼」の展示パネルより

様々な事業を展開し多角的に活躍した喜八郎氏が、美術品をコレクションするに至った理由について、小泉部長はこう話します。「時代が変わっていくということが一つの大きな要素であり、その中で日本人が大切にしてきたものが打ち捨てられていく。その廃仏毀釈の流れの中には、打ち捨てられていくだけでなく、外国にどんどん流出していくという動きがあり、それに歯止めをかけようと美術品・文物品を購入されたという経緯があります。これは喜八郎一人がやっていたことではありませんでした。色々な方が同じような志をもって、社会の中での自分の役割を含め、大きな問題としてとらえていました」。このような背景により多くの私立美術館が生まれました。その中で喜八郎氏が建てた大倉集古館は、現存する私立美術館としては日本最古となります。

「大倉集古館の前に、喜八郎氏は東京の向島に蔵春閣という別荘を作ります。ここが大変豪華で、建物の中に美術品をはめ込むように作られました。尾形光琳、酒井抱一など錚々たる作品がはめ込まれ、ここに客を招いて大宴会をしょっちゅうやっていたようです」。

蔵春閣


大倉集古館の敷地は、明治11年に政府から払い下げを受け、赤坂で約1万坪の土地だったといいます。ここに喜八郎氏は本邸を建て、最初はこの私邸を使って美術品を公開しており、その後、1917年に財団が創立され、大倉集古館が誕生しました。「昨今でも公益性が取りざたされていますが、喜八郎も自分の個人資産としてのコレクションではなくて、財団に全部寄付しました。自分の手から離して社会のものにするという決意表明ですよね。当時の資産価値が853万9千円で、現在の金額に換算すると66億円弱になります」。

集古館の前身、私邸を使った大倉美術館

 

大倉集古館の展示室内の様子


この後も、開館から5年後に関東大震災による火災によって3300点以上を焼失したこと、開館時に84件ものタイの作品を所蔵していた(日本でも珍しい)こと、代表的な中国彫刻、東洋美術コレクションの特徴、2019年のリニューアルオープンに向け現在改装中の写真など、大倉集古館にまつわる話が展開されました。

大倉集古館を代表する中国彫刻 重要文化財《如来立像》北魏時代・5~6世紀

 

大倉集古館の東洋美術コレクションの特徴。中国、チベットの作品が多数あり、また明治時代には珍しいタイの作品を収蔵


1時間30分、休む間もなくみっちりお話しされた小泉部長。最後は「財を成し、それを社会にどう還元していくかということを色々な方が色々な立場で色々な形でやっているわけですが、その一つの典型が喜八郎であります。現代でいえば、ZOZOTOWNの前澤代表のやっていることが近いのかもしれません。なぜ大倉集古館ができたのかという回答になるかはわかりませんが、そういう時代の背景をみていくと、色々なことが見てとれるのではないかと思います。これから展覧会をご覧いただくにあたって、なぜこれらが集められなぜ残っているのかという事を考えてみることも、美術観賞するうえで一つの面白さではないかなと思います」との言葉で締めました。

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